編集長が推す「このセミナー」
「沖縄新世代経営塾『観光立県--沖縄復帰の裏舞台--』」
2008/年1月20日
主催:内閣府
場所:沖縄県地方合同庁舎
特別講演 堺屋太一元経済企画庁長官
高市早苗前内閣府沖縄担当大臣の置き土産として昨年9月に沖縄県の30代、40代前半の経営者21人を対象にスタートした経営者塾である。PHP研究所の江口克彦社長が塾長。内地の側からはコンサルタントや実業家など10人がアドバイザーとして塾生になって参加している。筆者も内地から参加する塾生に指名され、参加している。毎回、内地の著名人を招いて講演を聞き、活発に議論する。1月下旬の講師は元経済企画庁長官の堺屋太一氏だった。筆者は2001年のインターネット博覧会で堺屋氏と一緒に仕事をしたが、それ以来だった。
話は、沖縄復帰の1973年に氏が通商産業省から沖縄に出向した際の経験談だった。堺屋氏一流の誇張はあったが、中身はいつものように大変に面白かった。
最も面白かったのは、沖縄の資源は観光にしかない、という結論から、観光業者や学者を集めた研究会を開催したら、13人の委員たちは一様に沖縄では観光産業が育たないという議論ばかりしていて、結局、研究会は失敗に終わった経緯だ。当時は、委員たちが集めてくるデータと世間の常識を集めると、当然のように、観光産業は駄目だという結論になるのである。別の学者集団は、沖縄は復帰したら6割人口が減る、ということを公表していたらしい。当時97万人の人口で、40万人程度に減少する、というのが定説だったそうだ。
ところが、堺屋氏が米国の実績ある観光産業のプロデューサーを訪ねて相談すると、適しているかどうかではなく、観光産業は「作る」ものである、と一喝されたそうだ。観光産業に適さない理由として、研究会は「航空運賃が高すぎる」ということを挙げているが、プロデューサーは、「それは逆で航空運賃が高ければ航空会社が熱心に宣伝してくれる」と反論した。結局、沖縄の景色や名所、音楽と芸能、物語の3つをポイントにして、沖縄に観光産業を「作り上げた」のだという。
景色や名所を強調するために「沖縄は世界一美しい島」というキャッチフレーズで篠山紀信カメラマンを起用し、モデルには沖縄出身の爽やかな南沙織さんを使って、沖縄の青い海、青い空、赤瓦の屋根、真っ赤な花などを背景にポスターを作って大キャンペーンを張った。音楽は沖縄音楽を売り出し、名曲「19の春」を作って田端義夫さんに歌ってもらった。こういう努力の積み重ねが実って、沖縄の観光が育ったのだという。
産業は「作る」ものである。
なかなか含蓄のある話だった。