NHKの歌番組で、三沢あけみの大ヒット曲「島のブルース」を懐かしく聴いた。三沢あけみ自身が画面に大写しになったが、さっそくウィキペディアで調べると1945年生まれの67歳である。その美貌は衰えず、40歳代でも納得するその姿は感動ものである。その後に出演した菅原洋一は、これもウィキペディアで調べると、なんと79歳である。歌声は、かつてと衰えることなく、これもまた感動である。「高齢化社会」というとイメージは暗いが、実は、元気に活動できる年齢が上がって行くという事であるという事実を実感して嬉しかった。
「島のブルース」がラジオやテレビで頻繁に流れたのは1963年ころなので、筆者は高校生活を始めたころである。故郷沖縄を戦時中に離れた母や叔父は、異常に沖縄に関する情報に敏感だった。沖縄戦の被災状況についての情報も当時の日本では不足していたので、母も叔父も藁をもすがる思いで沖縄に関係した事柄に執着していたのである。
沖縄出身の仲宗根美樹さんの「川は流れる」には、テレビの前に家族が集まって聴き、なぜか涙を流した。筆者の記憶によれば、沖縄関係者であることを公言していなかった大空真弓さんも、母の遠い親戚関係であるという事で、出演するテレビ番組を追いかけて見せられた。と言っても、当時はテレビ番組ガイドもない。親戚の誰かが情報をつかむと、電話で親戚中に伝わるのである。そういう雰囲気の中で、三沢あけみさんの「島のブルース」が大ヒットした。
奄美は薩摩の支配後は琉球王朝とは隔離されてしまったが、文化は共通である。琉球列島をなす「琉球弧」の一部で、色濃く琉球文化と一体化している。沖縄は当時、米国施政権下で、米国扱いされていたので、内地では教科書にも載っていないし、日本とは扱われていなかったのが実情である。「島のブルース」の音調も沖縄をイメージさせるものであった。当時の、「異国」としての沖縄の雰囲気が魅力となって大ヒットにつながったのではないか。
日本史を厳密にたどれば奄美も沖縄文化とほぼ同一な性格をもっている。元ちとせ、中孝介など奄美出身の歌手は、沖縄出身の歌手とまったく違いが判らない。奄美は文化的に、実は琉球=沖縄と一体である。それを三沢あけみさんの「島のブルース」で筆者は、体の隅まで実感させられた。
実際、沖縄県の県庁幹部にも奄美大島出身者は数多くいるし、沖縄経済界にも、奄美出身者は沢山、いる。その差を意識せずに受け入れているように思える。現在は鹿児島に所属しているが沖縄の共同体に入る方が自然である。沖縄は琉球列島の歴史を考慮して、奄美大島を沖縄に編入するように構想を描くべきではないか。