これは沖縄の魅力を伝える情報かどうか。沖縄の大手新聞が3月から夕刊を廃止することが決まった。
たとえば沖縄タイムズの場合、3月2日付から、夕刊をやめる、との発表だ。もちろん、朝刊・夕刊をセットで購読していた料金に比べて、朝刊だけになったので少し安くなるが、3分の1や4分の1の低下にならないので、実質的な値上げになるので、夕刊をなくす「断腸の思い」の決断に加えて、読者の反発を考えると、その反響がどの程度になるのか、新聞社の側ではしばらくひやひやと胸を痛めることになるだろう。新聞記者出身の筆者としては衷心から同情する。
もちろん、夕刊分の収入がなくなるのだから、大幅な減収を覚悟である。輪転機も遊ぶ。配送組織も遊ぶので、そのコスト負担は大きくなる。それでもなお、夕刊を廃止せざるを得ないのは、夕刊に広告が集まらず、夕刊だけの採算をみれば大幅な赤字だからだ。これは沖縄にとどまらない。全国の地方紙が同様の状況である。
全国紙も実は、同じ状況で、いつ、夕刊を廃止するか、秒読みの段階にある。先陣を切って不採算の夕刊を廃止したのは産経新聞である。他の全国紙がすぐに追随できないのは、産経には夕刊フジという大部数の夕刊紙を持っていて、経営資源をここに集中できたからだ。他の全国紙は夕刊の時間帯に印刷するものがないので、夕刊の時間帯に印刷機や印刷人員が遊休化し、配送、配達組織が遊休化し、稼働率が著しく低下して採算を圧迫するからだ。夕刊の広告が集まらなくて赤字垂れ流しとなれば、遊休化によるコスト圧迫と広告不足によるコスト圧迫のどちらが大きいか、広告不足の影響の方が大きくなれば決断せざるを得ない。
広告が集まらないのは、不況だけのせいではなく、好況時にもじりじり落ち込んでいた。夕刊の注目率が低下しているからだ。朝刊は朝起きて新鮮なニュースが飛び込んでくるのでまだ、価値は保っているが、夕刊のニュースはテレビですでに報道され、インターネットでも大量に流れた情報の後に手元に届くのである。普通の方法では全くと言ってよいほど魅力はない。生活情報、文化情報、芸能情報などに力を入れて目先を変えているが、週刊誌やスポーツ紙、夕刊紙との差別化ができずに、この路線でも、読者はともかく、広告主を引き付けるのは至難の業である。
実際、夕刊紙は経済活動が終わってから届くもので、即時情報の取得の面では沖縄のビジネス活動には影響は軽微であろう。逆に、インターネットによる情報取得の方がビジネスマンの必須条件になる。沖縄の「内地化」が進展する良いきっかけになるかもしれない。その意味では、夕刊廃止は沖縄の魅力をそぐ情報とはいえないかもしれない。
それよりも、筆者としては、わが古巣の全国紙の夕刊はどうなるのか、心配になってきた。