64回目の慰霊の日

64回目の慰霊の日

 6月23日は沖縄戦の終焉の日である。もちろん、実際に戦闘が完全停止をするにはもう少し時間がかかったが、「日本軍の組織的戦闘が停止した日」とされている。沖縄タイムズの紙面では、104歳の老婦人が17歳で亡くなった息子さんのお参りに「開南健児の塔」を訪れたという写真が大きく掲載されていた。

 老婦人の104歳の年齢にも驚いたが、もっと驚いたのは、その新聞の見出しには「104歳」という文字が小さく表示されていたことである。元新聞記者の筆者には「104歳」の見出しはもっと大きくて良いような気がしたが、その隣のページにあった死亡告知記事には、特に解説もコメントもなく「106 歳」の方の死亡記事が掲載されていた。沖縄では104歳も106歳もさして驚くには当たらない当たり前の年齢なのだろう。

 さて、県民の4分の1が犠牲になったと言われる沖縄の戦闘だったが、3月末(米軍上陸は4月1日)の艦砲射撃に始まってわずか3カ月足らずで、沖縄本島の中部、南部は廃墟となった。最後は日本軍とともに南部に追いつめられて亡くなった方が多数に上った。その惨事をくぐりぬけた方が、高齢になって、慰霊の列に並ぶ大半を占めている。

 筆者の妻の親族も犠牲者の碑名の中にある。その犠牲の上に、今日の沖縄の再生があったことは忘れてはなるまい。

 沖縄は長い米国統治の歴史を経て、1972年に本土復帰し、37年を経て、その人口は1.5倍に増加した。本土のほとんどの地域が人口減少に見舞われ、経済縮小を余儀なくされている中で、異例の社会進展、経済拡大を果たしている。

 那覇市のホテルで慰霊の日のニュース触れながら、特別の感慨を味わっている。

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