沖縄開発庁長官を務めた故伊江朝雄元参議院議員の3回忌の法要が那覇市首里石嶺町にある伊江家の墓所で先日、催された。10年ほど前に「伊江御殿墓」として重要文化財に指定された広い墓域である。筆者の母は伊江家の一門だったので、筆者も幼いころから一門の者として行事に加わっていたが、墓所に入るのは初めての経験だった。ちなみに「伊江御殿」は我が家では、「いー・うどぅん」と発音していた。
文化財に指定されたのは、1687年建造と、年代が分かっている最古の亀甲墓だからである。亀甲墓は中国福建省から琉球に広がる形式だそうだが、琉球ではさらに独特の思想が加わっているということである。19世紀中葉、琉球の日本帰属の交渉役だった政治家、伊江王子(朝直)は、尚王家から伊江家に養子として入って伊江家を継ぎ、この墓に眠っている。伊江王子の4代孫で伊江家当主だった朝雄さんは2年前に亡くなると、お骨を大きな亀甲墓の中に納めた。
法要ではお墓の外の庭で親族や生前交友があった方々、100人以上が集まって読経、お参りした。朝雄さんの奥さまの洋子おばさまが喪主として行事を執り行われたが、参列する筆者として困惑したのが、暑い沖縄での礼服の着用である。黒い礼服上下を持参したが、試着してみると耐えがたい暑さである。
おもろのスーパー「サンエー」の大きなかりゆしウェアの売り場を歩いていたら、式服用の黒いかりゆしウェアがたくさん陳列してあった。長そでと半そでとがあったが、ただちに半袖のフォーマルなかりゆしウェアを購入した。涼しい。当日、墓所に着くと、男性では、内地同様に黒い上下服の人が3分の1、残りは黒いフォーマルのかりゆしウェアを着用していた。すでに定着し始めているようだ。
かりゆしウェアは稲嶺前知事の時代に、ノーネクタイで仕事をするように、県庁の職員から着用するようにして沖縄のビジネス世界全体に広めた服装である。この発想が後に小池百合子環境大臣によって「クールビズ」の提案につながった。暑い沖縄で、何も内地と同じような服装である必要はない、ということだが、それならば、と葬儀・法要の式服もかりゆしウェアにしてしまったのは合理的な考えである。この考えを推し進めれば、「クールビズ」同様に、「クールフォーマル」として夏場の法事には新しい服装を提案してもらっても良いのではないか。
「クールビス」同様、「沖縄発」の「クールフォーマル」を提案できる政治家はいないものか。