沖縄育ちの母が晩年、思い出したように愛飲し始めたのがウコンだった。黄色というよりも、黄土色に近い粉末を沖縄から取り寄せて、湯に溶かして飲んでいた。
おそらく衛生状態の悪い時代に、ツベルクリン集団検査の注射で感染したのだろう、母がC型肝炎だと診断された時には、すでにかなりの進行状況で、肝硬変の段階だと宣告された。60代半ば、入退院を繰り返すようになったが、そのころ、沖縄の旧友たちから送られてくるようになったのがウコンの粉末だった。毎朝、毎晩、湯に溶かしたウコンの飲用が母の日課になった。飲酒の機会の多い筆者も母から分けてもらって飲んだが、とてもではないが、飲める代物ではない。
筆者が顔をしかめて飲むのを楽しむように見ながら、母は平気で飲用した。
それから10年、70代半ばにして母は天に召されたが、その際に医師から問われたのは、「病院の治療以外に何か特別な食事などをしていたか」ということだった。実は、肝硬変だと宣告された時、筆者はひそかに担当医に呼ばれ、「半年ぐらいしか生きられないだろう」と伝えられた。10年の間に担当医は何人か交代したが、どの医師も肝臓の音波撮影写真を見せながら、同じ診断を告げた。
それが10年も生き延びたことが不思議だというので質問を受けたのである。思い当たることはウコンくらいしかない、と返答すると、主治医と一緒に立ち会っていた2人の医師が期せずして「やっぱりウコンか」とうなっていた。
今では、ウコンは飲みやすいように甘味料を加え、健康増進の飲料として人気である。筆者も、粉末を練り固めて飲み込めるようにした錠剤を愛用している。ウコンの正体は生姜のような根で、我が家でも日が良く当たるベランダでプランター栽培しているが、薬効の強さを象徴するように、濃い緑の葉が勢いよく伸びて、観賞用にも気持ちが良い。
ただし、秋に掘り出して生姜のようにおろし金ですりおろして飲もうとしたが、口が歪んだ。苦いというか渋いというか、とてもではないが飲めるものではない。
このウコンがカレーの黄色の素、たくあんの黄色の素で、これらの食品が健康食である一因かもしれない。琉球の衣服の黄色い染料にもなるそうで、母は、白い茶碗は黄色の色が落ちなくなるから、と言って、専用の茶碗を使っていた。
強い太陽ときれいな水。ウコンだけではない。沖縄には様々な薬草がある。横浜の我が家のプランターで勢いよく葉を伸ばすウコンを見ながら、次の時代の沖縄の産業の姿を見る思いがする。長寿の時代の有望産業として沖縄の薬草栽培のビジネスを育成できないものか。