2001年に始まった10年間の沖縄振興計画のレビューと残り3年間のありかた、さらに次の10年間をどうするか、という議論をする場が今年6月に発足した沖縄振興審議会・専門委員会である。審議会全体の会長は伊藤元重東大教授だが、本会議の方は理念を含めて高い立場から議論し、専門委員会は具体的な議論を交わす場である。専門委員会は嘉数啓琉球大学名誉教授が座長になって沖縄に知識をもつ県内外の経済人や学者、文化人などが激しい議論を戦わせる。
11月10日も、那覇市で専門委員会が開催されて、筆者も委員として参加して、さまざま発言した。また、非常に有意義な反論も参加者からいただいた。議論は公開されているが、参加委員は、遠慮なくフランクな意見を述べるので、本当に勉強になる。
この日もさまざまな議論が百出したので、おいおい、この欄で紹介したいが、今回は、沖縄県の側から説明を受けた沖縄・産官学の「沖縄21世紀ビジョン」の素案について物を申したい。
全体に各分野の問題点を網羅しているが、悪く言えば、総花的で、関係者の要求をすべて吸い上げてホチキスで留めた内容になっている、と感じた。しかも、現在の延長線上が未来である、という単純で保守的な未来認識に立っているので、過去の入試出題問題を研究して模範解答をまとめたような優等生の答案で、正直言って、がっかりした。事態はそんな生易しいものではない。
沖縄にとっての21世紀は、急成長する中国とどう付き合うか、という巨大な課題を抜きにして語れない。長い琉球列島の歴史は中国や台湾、韓国、ベトナム、タイなどの東南アジア、それと日本との間で中継貿易を行い、経済と文化の橋渡しをしてきたことにある。
しかし、清代に中国が欧米列強に叩かれて衰退して、琉球が日本に帰属してから、中国との交流が断たれた。台湾は一時、日本の領土になったが、第2 次大戦の後に台湾と琉球最西端の与那国島の間には国境線が引かれた。経済、文化、人種的交流のあった東アジアと沖縄はこうして分離された。圧倒的な大国である米国とそれを追いかけて大国になった日本に依存する限り、沖縄は不満を抱えながらも、そこそこの平安をなんとか受け入れることができた。
ところが、ここにきて中国の成長である。ついに今年で経済力は日本と肩を並べ、今後10年間を見通すと2倍、3倍の経済大国になって、もしかすると米国を凌駕する世界一の大国に躍り出る可能性がある。沖縄の歴史は中国との交流の歴史である。琉球王朝時代は、優秀な中国人が琉球に招かれて政治の舞台、経済の舞台で活躍した。現在の沖縄の政治・経済のトップにも、中国からの帰化人が多数いるし、それを隠すこともない。この沖縄県の人々が中国との架け橋になることはごく自然で、これは日本の利益にもなるだけでなく、沖縄の競争力になる重要な「資産」である。
沖縄は急成長する中国への最前線の経済拠点になる資格を持っている。そのためには、中国との太いパイプを築くためのさまざなま施策を行うべきだ。こうした視点が「21世紀ビジョン」には全く欠落していた。沖縄が大きく飛躍するチャンスがある。それは中国との歴史的な絆を再確認するだけで得られる。これから大きく成長するホットな地域は沖縄である。沖縄自身がそれを理解できていない。僭越しごくながら、われわれが沖縄の経済界や行政の方々に啓蒙する必要がありそうだ。
沖縄総合事務局財務部の発表によると、09年7-9月期の県内経済判断は「厳しさが続いている」から「厳しい状況にあるものの、一部に下げ止まりの動きが見られる」へと上方修正した。前回景気判断を上方修正したのは2007年1-3月期で、2年半ぶりのことである。全国から遅れていた沖縄の景気反転の判断だが、個人消費や貸家・分譲の住宅関連に弱いながら回復基調が見られて、ようやくかすかながら、悪化一辺倒だった景気判断に変化の兆しも出てきたようである。
もちろん、「変化の兆し」であって、変化そのものではない。最も県内の関係者が懸念しているのは観光分野である。新型インフルエンザの広がりで、修学旅行や航空機を利用する旅行を取り消す動きが止まらない。この動きがいつ終息するのか。
今後に期待できる明るい話題がないわけではない。最も期待されているのが、那覇空港の24時間空港化によって、27日から全日本空輸の国際貨物事業がスタートしたことである。沖縄を東アジアの物流ハブにしようという構想が動き始めた。中継基地としてアジアの空港との競争が始まるが、この新しい輸送手段を通じて沖縄の産品の内地やアジア各地への販売の機会も拡大するのではないか、と沖縄の産出品を再点検する機運も広がっている。新型インフルエンザには影響を受けない分野である。10-12月期には、こうしたプラス要因が加わる。長いトンネルを脱出できるかどうか。
那覇空港の24時間運用の動きについては、今後も注目してゆきたい。