沖縄の伝統行事「うしーみー」

沖縄の伝統行事「うしーみー」

 沖縄は4月の第2週ころから「うしーみー」の行事の時節になる。「清明祭」と書く。沖縄方言は、「あいう」の3音で表現して、「え」は「い」、「お」は「う」に変わるので、「おせいめい」は「うしいみい」となる。11日の日曜日、首里城から2キロほどのところ、首里・石嶺の伊江家の墓所で催された「うしーみー」に参列した。

 「伊江王子の墓」として国の文化財に指定されているが、伊江王子は19世紀半ばの琉球王朝の政治家で、日本帰属の交渉の責任者だった。波乱の生涯を送ったが、筆者の母方の4代祖父に当たることを最近知った。墓も大きい。現存する亀甲墓では最大級の墓域をもつそうだ。大戦中、激戦地の石嶺一帯は砲弾で見る影もない状況になったようだが、丘の中腹にある伊江家の墓は何とか戦禍をまぬかれた。

 3年前に亡くなった伊江家当主は母の近い親族で、この墓の一番新しい住人となった。沖縄開発庁長官を務めた政治家で、沖縄出身の初の大臣だった。あいにく、筆者は東京の用事が手放せず、納骨の際に墓の中に入る機会を逸したが、次の当主の納骨があるのは何年先のことか。

 11日のうしーみーには、沖縄各地に散らばっている伊江一門が家族連れで200人近く参列し、線香を上げ拝んだ。親族とはいえ、東京在住の筆者には顔を見知りは、せいぜい20人ほどだったが。昔は、参加の家族がそれぞれ料理、酒を持ち寄ってお墓の前で宴会をしたそうだ。現在は線香をあげてから、仕出し屋さんの弁当で、軽くビールを飲んで、という式次第で、だいぶ簡略化したようだ。

 知人から、男はお酒を持って行った方が良いというので、泡盛を2本持って行ったが、どうも泡盛を盛大に飲む雰囲気ではなく、2本とも墓前に供えて終わった。

 悩んだのは、墓前に供える「のし袋」。沖縄の知人から「お祝いなので祝儀袋」と聞かされたが、別の知人に確かめると、「香典でしょう」と反対の答え。結局、どちらにも使う多用途ののし袋を購入して、お供えした。参列者ののし袋を墓前で観察したところ、赤い縁取りの祝儀袋と、黒い縁取りの法事用が半々だった。

 何も知らなければ、「墓所なので法事用」となる。通念と違う祝儀袋を持って来た人は正式な例を知っている人なのだろうから、どうやら正解は「祝儀袋」のようだ。沖縄では死後、墓の中で家族で暮らすという認識らしいので、「うしーみー」は、その先祖たちと、現世の子孫が1年に1度、一緒に宴会をするお祭り。祝儀袋を使うのは、先祖と子孫が一緒になるのは「お祝い」だということだろう。

 琉球の奥深い精神に触れる伝統的な行事だった。良い機会に恵まれたと実感した。

これまでの掲載

中島情報文化研究所 > 執筆記録 > 美ら島大使 沖縄報告 > 沖縄の伝統行事「うしーみー」