春の選抜大会の興南高校の優勝の際に本欄で、「夏に注目」と記したが、見事に、春夏連覇を遂げた。
筆者が経営に関与している東京・三軒茶屋の琉球料理店「古都首里」には、沖縄出身のアルバイトの店員が多数働いているが、そのうち2人の学生は興南高校OBである。春の選抜大会で興南高校が優勝した際には店中が大騒ぎになった。石垣島出身の草野球選手である店長の我如古(がねこ)さんも含めて店の定休日には甲子園まで応援に行った。
そしてこの夏である。第2回戦は定休日に当たったので、夏休みで沖縄に帰省していた学生を除いて、再び我如古店長が団長になって甲子園まで応援に繰り出した。結果はご覧のとおりで、感涙にむせんでいる。店の壁には興南高校のペナントや優勝直後の選手たちが列をなして駆けだした瞬間をとらえた大きな写真が張り出してある。沖縄タイムズが販売している拡大写真だろう。春夏連覇の余韻はまだ、店の中にこだましている。
しかし、なぜこんなに強かったのか。報徳戦だけが6-5の1点差だったが、報徳は1回にいきなり5点を入れてリードしたが、2回以降は地力で興南が勝り、じわじわ追い上げてあっさりと逆転してしまった。それ以外の闘いは力の差がはっきりしていて、すべて楽勝だった。こんなに危なげなく勝ち進んで勝つべくして勝った優勝も珍しい。
強かった理由に「沖縄純血チーム」を挙げる説もある。興南の選手の名前は内地の人では読めないものが多い。店長と同姓のキャプテン、我如古選手も、まず、読めない。島袋、真栄平など、沖縄に多い名前ばかりだ。つまり、全員が沖縄育ちの生徒ばかりでる。全国の強豪チームの多くが全国から強い選手をスカウトして来てチーム作りをするのとは対極である。実際、決勝戦の対戦相手、神奈川代表の東海大学相模は18人のほとんどが神奈川以外の出身である。興南の選手が地元の中学出身で、家族は沖縄に住み、中学時代、小学校時代の同級生たちも沖縄から応援した。沖縄全体が応援するのも当然、全国に住む沖縄出身者たちも結束して甲子園に駆け付けるのも自然の姿だった。その点、東海大相模の選手の家族や中学、小学時代の友人は必ずしも神奈川県には居住していないので、神奈川県を挙げての応援とはならない。その「念力の差」というのである。
一見、もっともらいしい説だが、これは乱暴である。この伝で行けば、来年以降も、沖縄の高校の常勝となるが、そんなわけには行かない。初出場した首里高校も、沖縄関係者の祈りにも関わらず、1回戦敗退だったし、21世紀に入って沖縄尚学が春の大会で初優勝するまで、長い間、優勝できなかったことも説明できない。
要は、努力である。野球に熱を挙げた沖縄県人の粘り強い県民性の成果だったと思える。その刺激剤になったのは、プロ野球キャンプの沖縄誘致である。毎年2月になると石垣島、宮古島、沖縄本島の名護、宜野湾、最近では久米島と、プロ野球の球団がキャンプを張る。巨人軍までが、近く、宮崎のキャンプを短縮して那覇市でキャンプを張ることに決まった。こうした外部からの刺激で沖縄の若者の野球への熱を高めた。
沖縄は産業育成でも、野球チームの育成のように外部から来る人々の刺激をテコに内部の力を育成する、という戦略を採るべきだろう。また、そのための内地からの来島者、移住者を大歓迎する心構えはできている。