日本は平和に囲まれた国なのか?「平和」の再考

日本は平和に囲まれた国なのか?「平和」の再考

 北朝鮮による韓国西方沖、延坪(ヨンピョン)島への砲撃のニュースに触れて改めて日本の平和とは何なのか。非武装外交に破たんした琉球王朝の歴史、沖縄の歴史を思い返した。

 19世紀半ばの琉球王国は西欧諸国の帝国主義的拡張主義の脅威にさらされていた。アヘン戦争で清が破れて、大国の中国でさえ西欧列強に浸食されつつあった。いわんや小さな島国にすぎない琉球王国の独立は保ち続けられるのか? 王朝内部は解決の道を見いだせないままに激しく動揺した。すでに明の時代から中国には朝貢し、琉球王として認知してもらい、朝貢貿易による利益を得ていた。一方、薩摩にも攻め入れられ、その支配下にあった。

 薩摩侵入の際に琉球は武装解除されてしまったので、頼るのは外交術しかない。日本と中国の間で、国際外交によって独立国の立場を維持しながら、日中両国の狭間で何とか生き延びてきたのだが、蒸気船を操って圧倒的な軍事力を背景にアジアに押し寄せてきた西欧のパワーには、もはや従来の外交術では太刀打ちできないことを認めざるを得なかった。

 いろいろ経緯はあるが、結局、西欧列強からの庇護者として琉球が選択したのは日本だった。しかし、第二次大戦で沖縄は日本に庇護されることはなく、県民のすべてが地上戦の地獄絵図の中に投げ込まれた。戦後は、平和の庇護者は米軍である。アジアが本当に平和であるなら、もちろん、軍隊は琉球からなくなって欲しいが、どうもそういう楽観論は通じないようだ。

 非武装で外交力によって辛うじて戦争の脅威から逃れる――かつての琉球王国がとったのと似たような発想を標榜したのが2次大戦後の日本だった。琉球王国との違いは、対立する米ソの中間に身を置くのではなく、はっきりと米国の軍事力の下で、戦乱に巻き込まれる危険を回避してきた。しかし、現在は平和に対する脅威の対象が大きく変わって来た。急速に軍事力を増強する中国と核武装に取り組む北朝鮮、そして韓国潜水艦への攻撃や今回の砲撃――。日本の周辺には平和とは距離がありそうな政治思想の国が膨張している。こういう時代になって、気がつくと、日本は軍事力を抑制したまま、アジアの緊張の中に呆然と立ち尽くしている。

 日本の平和をどのように維持して行くのか。大きく軍事地図が変貌する中で、徹底的に議論をする時期に来ているのではないか。琉球王国が独立を捨てなければならなかった、あの時代のような危機的状況に来ているような気がする。

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