三線(さんしん)の名人

三線(さんしん)の名人

 年賀状の交換も役に立つ。普段、連絡をしていない思いがけない人から近況を知らせてくる。ブログ、ツイッター、電子メールが普及してからは、大部分、その役割は果たしてくれているが、こちらからのアクションなしで、あちらから近況を知らせてくれるのは、年賀状がやはり、ありがたい。

 旧知の小島亜矢さんからの「宮古島の三線(さんしん)・民謡のコンクールで2年連続、1位になった」、と知らせてくれた年賀状も、近況を知る上で、たいへんありがたかった。
 小島さんは鎌倉出身。元鎌倉市長を祖父に持つ湘南の女性だが、JTBに勤務中に旅行した沖縄に取りつかれた。JTBを辞めて石垣島に移住し、ホテルに勤務しながら三線を学んだ。上達のピッチは速かったようである。その後、一度、実家に戻って、再びJTBに復帰し、沖縄旅行の企画などもしていたようだが、沖縄への思い、やみがたく、またJTBを退社して、音楽活動を再開した。筆者の経営する三軒茶屋の沖縄料理店「古都首里」でも、求めに応じて鎌倉から遠路来店し、三線を弾きながら沖縄民謡を迫力ある喉で聞かせてくれたことがある。

 さらに、小島さんの三線の技、民謡の喉は磨きがかけられているようである。

 内地ではなかなか小島さんの喉を聞く機会はないが、時々は「古都首里」で演奏会を開いてもよいかもしれない。沖縄文化を広める拠点として、そのくらいは当然のことかもしれない。
 沖縄の魅力は内地の才能ある人々の感性も揺り動かす。「花」「涙そうそう」「島んちゅの宝」など沖縄発の名曲も数え切れないほど登場したが、逆に、森山良子さんの戦争の悲しみを歌う「さとうきび畑」やTHE BOOMの「島唄」などのように沖縄を舞台に名曲がつくった内地人も少なくない。沖縄民謡の歌い手、小島亜矢さんんの誕生も、新しい現象である。これからどうやって売り出せば良いのか。

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