家内、長男、長女と一緒に筆者は家族4人、11日~12日、沖縄に行く。12日に、浦添市で家内の実家側、琉球王朝の浦添王子を祖とする「浦添一門」の墓が浦添市の文化財に指定され、浦添墓地公園として整備された。その完成記念のオープン・セレモニーに参列する。場所は沢岻、沖縄の独立系最大の情報サービス企業、OCC本社の裏手の山の上である。王族の墓地なのでかなり広い。沖縄独特の亀甲墓で、その構造物だけでなく、うっそうとした森全体が墓地の敷地である。
明治維新後、琉球が日本に帰属するのに反対して清に亡命した「脱清人」と呼ばれるグループがあった。1000人余の集団の頭領の一人が浦添朝忠氏で、家内の4代上の祖先に当たる。
亡命から帰国後、恩赦で自由になった後、中国文化の継承運動を沖縄でつづけた。その朝忠もこの墓の中に眠っている。亀甲墓を一昨年開いて整備前の文化財調査をした際には、浦添朝忠氏の位牌と骨壺を確認することができた。
一方、筆者の母方の4代上の祖父は、琉球を日本に帰属する条約を調印した伊江王子である。本来は仇敵、それを知らずして、結婚してしまったのだが、長南、長女は仇敵の双方の血を継いでいる貴重な存在となってしまった。
亡命-帰国、蟄居、謹慎という状況だったので、浦添朝忠氏には子孫が少なかった。今回の墓の正統な継承者がだれなのか、浦添市はその貯砂に苦労したようだ。男系が条件なので、さまざまな条件を検討して、60歳になる家内の従弟が継承者となった。浦添市が周到な調査の末に従弟を指名したが、当人も当惑である。継承者が決まったので、ようやく文化財としての指定の契約書に調印ができ、整備も進められた。
12日には墓前で存命中の一門と家族が集合することになるが、総勢で40人程度と、大家族が集まる沖縄の一門としては、少ない。一方の伊江王子一門の法事の際には、首里・石嶺というところにある、やはり文化庁の文化財指定を受けている伊江王子の墓前には1000人近くの親族が集まる。
歴史的には現在、この「脱清人」が脚光を浴びているところだが、朝忠氏の活動していた時代は、亡命から帰ってきた敗北者として辛い生活を送ってきたことがうかがえる。いずれ大々的に復権させたいものである。
浦添市文化財に指定された浦添家の墓の整備
浦添市文化財に指定された浦添家の墓の整備
2012年03月11日