梅雨入りした沖縄県宜野湾市で、5月15日夕刻、沖縄本土復帰40周年の記念式典が開かれた。筆者も野田首相、仲井眞知事連名の招待状を頂戴したが、日程が調整できず、残念ながら参加できなかった。
昭和20年に沖縄戦が終わってから27年間の米国統治下、その後、日本に復帰してから40年だから、本来なら、すでに米軍統治下の記憶は薄れて然るべきだが、現実は米軍基地に占領された沖縄県のままである。
もちろん、通貨はドルから円になった。少し時間をおいてからだが、自動車の右側通行が左側に変わった。朝鮮戦争やベトナム戦争時期には緊張した軍用機の頻繁な離発着があったが、その数は減った。駐留する米軍人の数も家族の数もどんどん少なくなっている。米軍住宅地域だった天久(あめく)は、いまや「おもろまち」の新都心に生まれ変わって、官庁や企業、ホテル、高級マンションなどの高層ビルが建ち、大きな駐車場を備えた大型のショッピングセンターも並んでいる。確実に変化は起きている。しかし、まだ、基地の存在は重くのしかかっている。
40年、大きく変わったのは、産業構造である。基地経済を除けば、農漁業と軽工業が中心だったのが、観光業とITを2大産業にする新しい「沖縄」に変貌しつつある。さらに、今年度からは、クラウドビレッジ構想がある。首都圏に集中している内地のデータセンターのBCPのための分散拠点の一つとして、データセンター建設に有利な環境を整えて、誘致しようというIT振興施策である。
単にBCPだけではなく、アジアに事業展開を急ぐ日本産業界の情報ネットワークの拠点として沖縄にデータセンターを置けるように十分に整備しようという計画である。沖縄は東アジアの中央に位置する。アジアが未発達の時期には、東京がアジアの経済の中心で、沖縄は遠く離れた「へき地」だった。しかし、東アジアの急速な発展に伴って、逆に東京は東アジアの中心から離れた場所となり、日本の中では熱く成長する東アジアに最も近い地域に変じた。日本企業がアジアに打って出る戦略的最前線拠点と位置づけが変わったのである。
この40年、基地や米軍用地が少しずつ変換されて、沖縄は新しい顔を見せつつある。次の10年、さらに大きく変貌を遂げるだろう。それを楽しみにしたい。