家電販売店は地域の「技術コンサルタント」として生き残れないのか
近所の電器店がいつの間にか閉店していた。
自宅の玄関の電球やら居間や食堂の蛍光灯など、かつてはその電器店まで走っていって間に合わせていた。クーラーの調子が悪い、洗濯機の具合が悪いと、何かがあれば電話で相談し、事態によっては、軽自動車で駆けつけてくれた。その電器店が、空気清浄機の調子が悪いので修繕を依頼しようと電話したら、すでに閉店していたのである。
インターネットで調べると、空調のメーカーにはサービスセンターがあるのでそこに電話をすればよいことになっていた。しかし、顔も声もなじんだ近所の電器店の店員と、サービスセンターの担当者の応対では大きな差がある。もちろん、サービスセンターの担当者の言葉は丁寧で、質問も当を得たものである。しかし、場合によっては、すぐに当人が駆けつけてきそうな雰囲気の、かつての電器店の店員の趣とはずいぶんと違っている。
実際、サービスセンターを通じての空調の修繕を行うまでの手続きは思いのほか面倒で、電器店のあのサービスが懐かしかった。というより、また、故障したときには、あのサービスセンターに電話をしなければならないのか、という不安を感じた。
私の率直な「懐かしかった」「困った」「不安を感じた」という感懐の中に、より良い「サービス」のヒントが隠されていないか。困ったこと、不安なこと、怒りを感じること、などは、そこにビジネスの機会があることを常識である。「ニーズ」とは、何かの事態に困っていてその解決策を痛烈に欲求することである。
電器店の復権のヒントの一つがここにあるだろう。
最近のマーケティングの教科書によると、さまざまな機械製品は、販売した時点での利益よりも、長期的に使い続ける品質を保証するための「サービス」の利益のほうが大きくなるのだそうだ。だとすれば、継続的で顔の見える「サービス」を地域で行える電器店にも「復権」の日が来ることを夢見るのも、あながち見当はずれとはいえないだろう。まだまだ、地域に密着した電器店や商店街も、見捨てたものでないのである。