農業の国際競争力を高める、という発想は、第二次大戦後の日本社会にはなかった発想である。「食うや食わず」の戦時中から、やはり食料を求めてさ迷った戦後社会の経験で、農産物は輸入する、という習慣がついてしまった。
昭和50年代に農林省の記者クラブ詰めだった筆者は、当時、「アメリカ陰謀説」をよく聞いたものである。戦後、米国は日本を農産物の輸出市場として開拓するために、援助物資として小麦粉と粉乳を大量に提供して、小学校の「給食」からパンとミルクを子供たちに食べさせて食習慣の中に米国の輸出物資を広めた、というのである。意図的に農業を縮小させて、食料で米国の市場圏に入る戦略を成功させた、という論理だ。これは農業を死守しようという農業協同組合の首脳部の主張でもあったので、多分に感情的な「陰謀説」だ、と軽視して来たが、あるいは、そうだったかもしれない、と思うこともある。その米国政府の意図がどこにあったかは究明しないとしても、結果として、そうなったことは事実である。
もし、意図的に日本農業が追い込まれたとするなら、逆に、戦略的に日本農業を再興する可能性もあるということになる。現時点で日本農業の強みはどこにあるのか。それを見極めたうえで、ターゲットにする市場に対して戦略的に宣伝活動や啓もう活動を展開する。もちろん、県や自治体単位でどこかの国や都市に出向いて特売所を設ける「局所戦」ではなく、日本国政府として、強い意志と長期的な戦略をもって市場開拓を行うのである。こちらにとっての「戦略」は相手にとって「陰謀」になるので、「日本陰謀のすすめ」である。こうした強い意志を持って何かを実現する英雄のことを中世の日本では「悪人」と呼んだそうだ。
米国が手段として使ってきた「市場開放圧力」という手段は「政治・外交大国」ではない日本の取れる戦略ではないが、「健康」「美味」「安全」などのキーワードは十分に戦略化することができるだろう。ただし、この「兵器」は十分にライバルたちにも見透かされているので、次のキーワードを見出して「ブランド」として育成しなければならない。
果たして、それだけの「悪人」に日本人が変身できるか?