遠い過去の記憶~~「アマチュアリズム」
2012年06月19日
日本でアマチュアリズムが生きているのを実感させられるのは「高校野球」だろうか。大学野球にもまだ、片鱗がある。選手はプレーによる報酬を求めず、また勝負に過度にこだわらず、ひたすらフェアプレー、好プレーを目的にして努力を極める。その「無償の行為」の清々しさに見る者を感動させる。それこそアマスポーツの神髄である。
毎年、春夏の高校野球の開会式で選手の宣誓で述べられる精神である。もちろん、宣誓を叫ぶ代表選手も、聞いている他の選手も、球場に集まった観客も、テレビ観戦のファンもそんな虚構を信じてはいない。選手たちはプロ野球のスカウトの目にとまって多額の契約金や年俸を夢見てプレーしている。しかし、建前であるアマチュア精神を表向きは否定しない。選手たちだけでなく、その学校で不祥事があれば甲子園出場を辞退させられる厳格な処分があっても、厳しすぎると同情や批判はしても、結局は納得してしまうのは、建前の存在を是認しているからだ。
そのアマチュアリズムの権化ともいうべきオリンピック国際委員会が、1974年、オリンピック憲章の専守資格の条件から「アマチュア」という条項を取り除いた。これまでオリンピックでの好成績を報酬に結び付けてはいけない、とされてきたのが、広告に出演することも、出演料をもらってイベントに参加することも自由になった。金メダルをとれば、それこそ多額の報奨金を獲得できるのが常識になった。それどころか、サッカー、野球など、プロ選手が代表選手に選ばれてオリンピックに出場できることになった。
本音と建前が存在する日本の学生野球のアマチュアリズムの維持が果たして良いのか。いずれは議論になるだろうか。