とんでもない組織があるものだ。特別な共同体なので世間とは違う習慣があっても不思議はないと思うが、それでも最低限、社会の成員として、許してはならない行為がある。「殺すなかれ」は、その集団が社会から存在を認められるための最低限のルールだろう。
日本相撲協会では、その最低限のルールも認識されておらず、「稽古中に金属バットやビール瓶で殴りつけるのは当然の訓練で、それに耐えられずに死亡するのは、通常の稽古中の通常の出来事」という理解であるらしい。こういう認識をしているということは、これまでも「通常の出来事」として、若い弟子の死亡事故が頻発していたのではないか、という疑問を起こさせる。教祖に従えない信者は悪魔にとりつかれているので死亡にいたらせることが本人の救済、という名目で脱走しそうになった信者を絞殺、毒殺していた「オウム真理教」という集団がかつて存在したが、死亡にいたる暴力を「かわいがる行為」と偽装していた点では共通の思考過程を感じる。
もちろん、そんなことを社会の側で容認するはずもなく、文部科学省が各種恩典を与えている財団法人に対する監督官庁として真相究明と指導体制の改善を指示したのは当然である。これを無視すれば各種恩典を失って相撲協会の存続が危うくなるという危機を初めて認識して、事態を軽く見ていた風のある理事長も大慌てで動き始めたが、余りに常識はずれといわざるを得ない。「国技」として、日本の良き文化や伝統を体現、継承するはずの組織がこの状況では呆然とせざるを得ない。一部の外国人横綱が「大相撲は日本文化を体現している伝統的存在である」ことを理解せずに、横綱の責任を放棄する行動に出ても、相撲協会が中途半端な処分しか出来なかったのは、実は、大本の協会自体がすでに腐りきっていたからかもしれない。
理事会、理事長が相撲界の生え抜きで、若いうちから世間から隔離され、「相撲」という特殊な世界に埋没して価値観を形成されてしまっていることが問題なのかもしれない。理事長、理事に外部からマネージメントできる人材を導入して、生え抜きと協会外役員とのチームで一度、組織の建て直しを図ることが必要かもしれない。類似の仕組みとして「横綱審議会」というお目付け役があったはずだが、やや名誉職的な色彩が強く、また、権限が狭く、経営全体のところまで影響を及ぼすのは難しいだろう。外日の知恵と血液を取り入れて、根本的な改革をしない限り、不祥事が続くこの組織は日本の伝統を継承するには能力不足として早晩、滅びてゆくほかないだろう。
協同組合の運営もまた然り。内部の共同体の論理が社会から遊離したものになっていないかどうか、絶えざる自己検証が必要だろう。