いまだに特定できない2000万件の年金データ

いまだに特定できない2000万件の年金データ

 福田首相の会見によると、社会保険庁は年金データの特定がまだ2000万件分、未了のままだという。昨年夏の参議院選挙の自民党の惨敗、さらに安倍首相退陣の伏線となった年金データ問題は、これを引き継いだ福田政権にもきついボデーブローとして打撃を与え続けている。もちろん、政権が問われているのは監督責任である。現職の舛添厚生労働大臣としては、この事態を見逃してきたのは歴代の厚生大臣であって、自分はこれを告発する側だと認識しているに違いない。年金データ問題が発覚するまでこれを隠し続けてきた社会保険庁や厚生労働省の怠慢を糾弾したまではそうだったに違いない。国民の代表として社会保険庁や厚生労働省の組織に対して年金データの特定を行うように指示した。

 しかし、権限をもった厚生労働相として同省に指示した結果が十分に出なかった。厚労相就任時に「一人たりとも年金データの不備によって年金が不払いになることはさせない」という趣旨のことを強調し、これは一種の公約となった。現在では「努力するといったわけで、十分に努力して、その結果は出
ていると思う」とニュアンスを変えているが、とても国民の不安や不満を払拭できる状況ではない。国民は努力したかどうかを問うているのではなくここは出処進退を明確にすべきポイントではないか、と思う。イージス艦事故の石破防衛相も同じだが、福田首相は「今、大臣が辞任すれば厚労省や防衛省の体質は変わらないので、体質改善をするまでは頑張ってもらう」という考えである。

 辞任するのも、踏みとどまるのも、どちらにもそれなりのロジックは成り立つ。理論というのはこういうものだ。それぞれは絶対の真実と思っているが、事態は相対的なものである。どちらを選ぶかの判断基準は、その結果、何がどうなるか、の外部への影響の軽重如何である。こと政治の場合には、民主主義社会には選挙があるので、この件が選挙にどう響くかが判定基準だ。その観点からすれば、厚労相、防衛相の辞任は、政権を弱めてかえってマイナスだというのが福田政権の判断のようだが、果たしてどうか。時間を稼いで、国民感情がどこまで改善するものなのか。もちろん、残された期間に起死回生のホームランが出るのを期待しているのは理解できる。しかし、本当にホームランがあるのか。むしろ、たとえば舛添大臣の場合には、他の大臣にはできなかった厚労省の首脳人事にメスを入れて、大幅に組織を刷新してしかる後に出処進退を明確にする、というような振る舞いをしないと、結局は、与党政権への政治不信がさらに拡大するという結果になりかねないような気がするのだが。

 舛添大臣は国際大学(グローコム)教授として筆者の同僚として活動していた時期もあった。いろいろ議論する機会はなかったが、メディアを通じて知る限り、大臣になってからの舛添氏は以前よりも筋を通すことよりも、大臣のポストにこだわって、そのロジックの迫力が弱まったような気もする。それが残念だ。

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