筆者が兼職している国際大学グローバルコミュニケーションセンター(グローコム)では、研究活動を支援する企業の経営者の方々と定期的に長期的な経営視点に立ったテーマを議論する研究会を開催している。先日、池尾和人慶応大学教授をコーディネーター役に「日本の金融サービスとグローバル化」の討論会が開催されたが、日本の金融サービスの後れとそのことが日本産業全体に与える影響がさまざまな側面から浮き彫りにされ、金融サービスには疎かった筆者はその議論を聞いて愕然とした。
いくつかの論点の中で最も印象に残ったことは、この議論は、日本のソフト産業にそのまま当てはまるということである。
日本の金融サービスは国内でそれなりに回っていたので日本市場にしか通じない企業体質になってしまった。国境の壁が崩れて世界が一つの市場に統合されつつある現状を理解しないまま、海外からの参入に業界が結束して政府を突き上げて抵抗してきたがそれも限界に来て、統合・再編の混乱に陥って、産業資金や情報、知恵の提供を受けるべき日本産業界に対してその機能を果たせない状況が続いている。日本の金融サービスがグローバル化できないことが産業界のグローバル化の歩みも遅くしている、というのである。
日本市場に次々と海外企業が参入してきているのは、日本企業の金融サービス業への要求を満たせず、海外の金融サービス事業者に頼らざるを得なくなっているからで、日本の個人、法人が抱える数千兆円の資産が日本の金融サービス業によって扱われていないことは極めて残念である。
気がつくとソフト産業も同じことである。インターネットが先進国に浸透して、ソフトは国境を越えてどこででも開発し、移転することができるようになった。最初は開発作業が故郷を越えてコラボレーションできるということで、国際連携が進んできた。日本のソフト産業もいち早く、コストの安い中国やベトナム、あるいはインドのソフト技術者の活用を始めた。ところが、インターネットの普及はその段階に止まらなかった。インターネットを通じて、必要なソフトを海外から調達して利用することができるようになった。SaaSである。米国にサーバーをもつセールス・フォース・ドットコムが日本の企業ユーザーを獲得し、これに続いて米国のSaaS事業者が次々に日本に上陸して企業ユーザーを獲得しつつある。なぜか。日本のソフト事業者が、SaaSとして活動することに出遅れているからである。中には、SaaSの普及は日本のソフト産業に有害である、と主張する向きもあるというから、これは「鎖国思想」の国内金融サービス事業者と同じだと痛感するしだいである。
フラット化する世界。冷戦時代は自由に活動できる世界の市場は米国、欧州、日本の5億人の人口だったが、冷戦終結後、壁が崩れて市場は開放され、中国、ロシア、東ヨーロッパが加わり、さらにインド市場も開放されて、市場規模は40億人になった。その傾向がはっきりしたのは21世紀に入ってからだが、ここ10年足らずで、市場規模は5億人から40億人と8倍に膨張した。その市場爆発に応じられず、「国内市場」の壁を突破できない日本の金融サービス業が行き詰まっているように、また、日本のソフト産業も行き詰まっているように見える。インターネットによって海外のソフトは簡単に国境を越えて日本のユーザーにセールスをかけてくる。グローバル化した魅力的なサービスである。SaaSは日本のソフト産業を脅かす新勢力である。しかし、これを毛嫌いしても事態は改善されるわけではない。海外からの進出とは逆方向に、日本のソフト産業がグローバル化する機会も同時に提供してくれている。
「そんなのは無理だ」という声も聞こえてくるが、それは国境が消失し、フラット化する社会に対し、目をつぶって直視するのを避ける、ということである。その引きこもりの選択肢を選ぶ限り、日本のソフト産業に未来はないように感じた。