民主主義の国、アメリカ合衆国への苛立ち

民主主義の国、アメリカ合衆国への苛立ち

 米国発の金融パニックが世界各国、各地域に大津波となって波及する危機感を、世界の経済関係者は抱き、固唾を呑んで米国政府の対応を見つめてきた。

 結局、7000億ドル、邦貨換算で75兆円の公的資金の導入で政府と議会が難航の末、合意した、と伝えられたのも束の間、議会の反対で否決、サブプライム焦げ付きに発した米国金融危機の対応策は白紙に戻ってしまった。ほとんど非常事態宣言に近い状況の中でブッシュ大統領が叫び、マケイン共和党大統領候補が一時はテレビ討論を中止してでも、金融問題解決に当たりたい、と表明していたにもかかわらず、あっさりと議会はようやくまとまったはずの救済案を否決してしまった。

 率直のところ、アメリカ人は何を考えているのか、とあきれ果てた。

 まず、米国国会議員の非グローバルの実態。事情通によると、米国の国会議員の6割は海外渡航経験がないのだそうだ。副大統領候補になったペイリン女史ですら、候補になって初めて海外に出向いた、というくらいだそうである。世界がどうなろうと、まず、米国の事情最優先。選挙民の意向を最優先するのが当然というわけで、さんざん大もうけをして、役員が何年もの間高額報酬を得てきた会社に税金を投ずるとは何事か、という選挙民の声をまず代弁するというわけである。

 75兆円の税金といえば、米国の人口を2億人とすれば、一人当たり40万円近い金額だ。一家4人家族で160万円。これまでさんざんシビアなビジネスで金儲けしてきた企業になぜ巨額の支援をしなければならないのだ、というのが偽らざる心情だろう。救済策が破綻して世界恐慌が訪れようと、国民にとっては自分の支払った税金に注文をつけるのである。

 そう聞けば、何となく納得できる。

 納得はできるが困ったものである。こうなれば、破綻した経営者をみな、刑務所に放り込んで、国民の怒りを収めなければならないかもしれない。高額報酬をもらい続けた経営者たちは、それを返還するか、刑務所に行くか、あるいはその両方を要求されるか。いずれにしろ、穏やかに収束することはもはや不可能だろう。それにしても困った、困った・・・・。

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