アジアが世界経済復興のカギ握る

アジアが世界経済復興のカギ握る

 1月中旬のJASPA(全国ソフトウェア協同組合連合会)賀詞交歓会の挨拶で、知人が100歳になる高齢でカクシャクたる伯父さんから「世間では100年に1度の危機などと騒いでいるようだが、わしは100年間生きてきて、もっとひどい危機を何度も経験してきたワイ、この程度の危機など何でもない、ガハハ」と笑い飛ばされた、という話を紹介した。

 1月30日に沖縄・万国津梁館で開催された「アジア金融フォーラムin沖縄」に参加して、いっそうその意を強くした。アジア金融界の実務者、専門家の話を聞くと、「100年に1度の危機の経験」というのは、戦争で国土を破壊されなかった米国だけの話で、それも長い間、米国金融の番人だったグリーンスパンが責任逃れのために「経験のない状況だから予見できなかったのは当然」と言い訳をしているに過ぎない、という意見が多い。問題は、そうした宣伝で、皆が悲観的になると投資や消費を控えるので本当に経済が行き詰まってしまう結果を導くことだ。当局が責任逃れの「100年に1度」を繰り返すと、それだけ本当の危機が近づく。サブプライムローンで導かれたバブル景気を見逃して経済危機を招いたのが当局の第1の失敗。それを「100年に1度」と責任逃れの宣伝をして、実態経済まで冷え込ませたのが第2の失敗。

 アジア諸国では97年、98年のIMF危機と呼ばれる通貨危機の方がもっと深刻で打撃が大きかった、という声がもっぱらだ。IMF危機の際の教訓から、外貨準備を積み増して、海外のショックを緩衝させる技術を身につけた、というのがその理由だ。欧米が全治2年ならばアジアの傷は浅く、全治半年だろう、という意見には、なかなか説得力があった。さらに、欧米が立ち直る前にアジアが復活してエンジンをふかしてゆけば、米国一極集中だった世界の金融はアジアも極の一つになる新しい構造を作ることができるのではないか、というのである。世界の経済危機を救うのはアジアの復活である。

 フォーラムの間にたびたび催されたパーティーで、沖縄県の経済人・県庁の方と意見交換すると、沖縄県はまだ、ショックが小さい、あるいは「津波」が押し寄せるのが遅れているのだそうだ。理由は至って単純。沖縄には見るべき
輸出産業がない、ということで、販売減少、円高による為替差損などの打撃がなかった。しかし、日本全体の景気後退、アジアの景気後退で観光客が減少してくると今後の影響は心配だ、ということだった。グローバル化に出遅れた企業、地域が、今回の打撃が小さい、というのは、じっくり考えさせられる現象である。

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