大相撲が異常事態である。外国人力士の隆盛と日本人力士の衰退、2世力士の隆盛と有望な地方人材の欠乏――国技である大相撲の存続の危機を予告するサインは点滅していたが、今回はその日本人の力士群を直撃する大事件である。現役の大関が野球賭博で摘発されて名古屋場所の欠場を決めたのを含め、15人の力士が関与したとして名古屋場所の出場辞退と言うことになった。指導する立場の親方にも直接に野球賭博に参加していたものもいたし、出場辞退した力士が属する部屋の親方も、謹慎となった。その中には理事長も含まれている。
親方は監督責任を問われたのだが、相撲界のように部屋に住みこんで稽古に励み、生活ぐるみで指導される世界では、親方の監督責任は厳しく求められて当然と言える。むしろ、そうした「賭博」に対する感覚がマヒするような日常
が、相撲の世界に蔓延していたのではないか。仲間内ならば許されるだろうと先輩後輩でちょっとした「花札賭博」は当たり前のように開かれていた、という内部告発もある。
しかし、他人事だろうか。高校野球の勝敗や優勝選手を当てる「トトカルチョ」などが、職場内で開かれるなど、うっかりすると職場ぐるみの「賭け事」が行われている。そんな雰囲気に触れた若い社員は、その程度は許されるものと賭け事を簡単に考えてしまい、社会的ルールに対する感覚が歪んでしまう。
マージャン、ゴルフなどでもちょっとした「賭け」を行う事があるが、筆者の古巣の新聞社のセクションでは「賭けマージャン」「ゴルフの握り」「ゴルフ馬券」などを禁止することを申し伝えていた。ということは、他のセクションでは黙認されていたのだろうが、危険極まりない。優勝者やルールを決めた表彰の賞品ならともかく、「賭け」に類するものは不法行為と摘発されると抗弁のしようがない。個人同士のお遊びなら、と軽く考えがちだが、信用失墜を狙うどこかのグループから告発されたら、一発で職業生命を断たれる。特に紙の印刷物やメールでのやり取りなど、複数の人間に「証拠物件」が渡るケースでは、いつ告発されるかわからない危険と隣り合わせである。
そうした場合、経営者、管理者、あるいは企業として監督責任を問われる。部下がやっているプライバシーにまで踏み込めない、というのは、職場に全く関係ないときの免責事項で、職場仲間が多数参加していたら、監督責任を言い
たてられる。大相撲の野球賭博は他人事ではない。伝統ある大相撲だから、存続のために、必死の議論が行われるが、一企業の場合は、「企業の監督責任」と指弾されれば、いっぺんに企業存続の危機に直面する。どこに雷が落ちるか分からない。クワバラ、クワバラ・・・・。