日本の電子行政の立ち遅れは、国民のIDが行政機関ごとにばらばらで情報システムの連携ができないことが最も大きな原因だが、その背景には行政マンたちの使命感の欠如という重大な問題を秘めているのではないか、とかねて感じてきた。その意識の遅れが住民基本台帳ネットワークの普及の際にブレーキとなった。しかし、仮に住基ネットが整備されても、行政職員の現場の使命感が薄ければ、仏作って魂入れずの状態になってしまうのだな、とさらに憂鬱を感じた。
毎年、100歳以上のお年寄りが急速に増えて、そのニュースに接するたびに舌を巻いてきた。しかし、その100歳以上の高齢者の中に、「所在不明」の方が多数に上るというのだから驚愕である。住基ネットが他の行政情報と十分にリンクされていないので、「異常」を発見して調査するという仕組みになっていない。さらに「プライバシー」を理由に家の中まで踏み込めない、というか、踏み込まない。その結果、居住しているはずの高齢者が確認できないし、別のケースでは虐待されている子供も救い出すことができない。これで情報が発達した幸せな社会ということができるだろうか。情報が発達してもちっとも活用できていない「情報後進国」に止まらざるを得ない。
所在不明の高齢者の存在は、この国の情報化の後れを象徴する「恥」である。このままだと、自動的にこの人々の年齢は毎年1歳ずつ上がって、日本は統計上、さらに長寿国となって世界にその恥をさらすことになりかねない。電子行政のお粗末の極みである。
実際に100歳を超える高齢者は身の回りに多くなったし、沖縄の新聞を見ていると、毎日、数人の100歳を超えて亡くなった方の死亡記事や葬儀の広告が見られるので、長寿社会そのものは事実なのだろう。しかし、本当のところ、一体、何人の方がご存命なのか、正確な数字は分からないことになる。
中国には正確な人口統計がない、と、その統計について皮肉を言ったりもしてきたが、日本の人口統計も怪しいものになってきた。中国の事を言っていられない。