由紀さおりの「大復活」は何を意味するのか?

由紀さおりの「大復活」は何を意味するのか?

 由紀さおりが歌う「1969」という音楽アルバムが欧米で大ヒットし、その波が国内にも逆上陸しているそうだ。NHKのニュースによると、米国南部の中古レコード店に並べられた由紀さおりの古いレコードをたまたま聴いた、ジャズグループのピンクマティーニがその歌声に感動して由紀さおりに声をかけたのがアルバム発売のきっかけだそうだ。その曲は「夜明けのスキャット」。ゆったりとしたメロディー、リズム、そしてスキャット。元々、ラジオ番組のオープニングに使った歌詞がない曲だったが、その美しいメロディーに問い合わせが数多く寄せられたので、歌詞をつけて発売され、大ヒットしたが、筆者もこの番組のファンだった。

 「1969」というのは、「夜明けのスキャット」をはじめとした、1969年に日本で流行した名曲を集めたものだ。すべて由紀さおりがカバーして歌っている。「ブルーライト横浜」など、由紀さおりが歌っても、ぴったり合っている。

 価値のあるものは時間を経過しても再び光を放ち始める。

 ただし、そのメディアはレコードからCDに変わった。あるいはインターネットでダウンロードして情報端末や音楽端末で、イヤホンで聴く。大型のステレオスピーカーで聴いた時代とは様変わりである。

 ソフトウェア産業の悲しいのは、由紀さおりになるのが難しいことである。魅力の根源である由紀さおりの歌は、40年後にも復活するが、レコードやレコード針は復活しない。技術革新の進展とともに忘れられてゆく。情報端末やプログラムは、音楽におけるメディアに相応するのではないか。永久に価値が持続するものではない。また、時間が経って復活するものでもなさそうだ。しかし、情報産業でも、プログラム言語が変わっても、端末が変わっても利用できるソフトウェアが存在する。本当の意味での「ソフトウェア」はそれを支える道具類には依存しないはずである。

 長い時間、生き続けるコンテンツ。長い時間を経ても価値が再発見されるコンテンツ。優秀なソフトウェアも、こういう性格をもっているはずだ。こういうソフトウェアの開発こそ、目指すべき目標なのだろう。

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