米軍統治下の「琉球政府」から日本へ復帰してから40年。5月15日で沖縄は「祖国復帰40周年」を迎え、普天間基地のある宜野湾市の会場で、雨の中を記念式典が開催された。「美ら島沖縄大使」の筆者も野田佳彦首相、仲井眞弘多県知事連名の招待状をいただいたが、東京での用件がはずせず、出席できなかった。遠く、40年の時間の流れをかみしめるのみである。
沖縄県は復帰時点の人口が90万人強だったが、40年間で1.5倍に増えて現在は141万人強である。日本全体に人口が増加してきたが、増加地域は都市部に集中して、ほとんどの地方の道府県で人口減少に見舞われているのに、沖縄は全くの例外地域である。最も大きな要因は子供の出産による自然増で、温暖な県民性、楽天的な県民性、比較的大家族で生活セイフティネットが感じられる環境など、出生数が多い。
もう一つの要因が社会増。観光で沖縄に来た後、その魅力に取りつかれて内地から単身移住してきてしまう若者。定年退職後、あるいは早期退職して沖縄に移住してくる夫婦連れも目立つ。働き盛りで移住してきて民宿や観光業に挑戦する人たちも少なくない。一度内地の企業に就職したが、両親のもとに戻ってくるUターン組も目立っている。
特にUターン組や内地に出てゆかない若者たちには受け皿となる勤務先を用意しなければならない。沖縄県がこの間に取り組んだのが、まず、観光産業の育成で、復帰前には米軍基地、とりわけベトナム戦争の拠点としての殺伐とした地域だったのを明るい空と海を強調した大キャンペーンによって、一大観光地域に発展させることに成功した。次いでこの10年強、力を入れているのがIT産業の育成である。ソフトウェア開発企業の誘致や育成、コールセンターの誘致、そして今後、重点施策にするのはデータセンターの誘致である。どのような誘致策を講じてゆくか。筆者も、その一翼を担って政策作りに参加してゆくが、「ITニッポン」の再興をリードする「ITリュウキュウ」にしてゆくつもりである。