常識は乗り越えられるか

常識は乗り越えられるか

 「経営の若返り」が重要なのは、時代の変転に対応するためには根本的なところから発想の転換が必要だからだ。従来の常識、慣行は経営環境の劇的な変化の前には有効性が失われる。年配の経営者は、現行の仕組みを終了させるのに抵抗感がある。そのために変革が遅れる。時代の変化に応じて生き残るための変化は従来の自己を否定されるような軋みを感じて、本能的に適応できない。既存のモノに改良を加えるのではなく、ゼロリセットして生まれ変わるくらいの劇的変化が必要な時期がある。

 政治も全く同じである。既存政党の争いの中で政策を推し進めてきた政治の在り方は行き詰まった。常識はすでに通じなくなった。にもかかわらず、いま、政治の場で繰り広げられている風景は、政治の従来の作法を続けた政争である。これでは危機を突破できない。「改良」をいくら続けても「変革」は起こらない。政権が自民から民主に代わったのは、「変革」ではなく「改良」に過ぎなかった。もちろん、「改悪」という批評もあるだろうが、「改良」も「改悪」もたいして変わらない。必要なのは「変革」だったが、結局、民主党政治は行き詰まって自民党政治にすり寄って、元の木阿弥になった。

 政治も「若返り」が必要だが、その若者は、旧来の仕組みを引き継いで育ってきた者であっては、きっと何も変わらない。どういう仕組みで根本的に価値観の違う若者を政治の中軸に据えることができるのか。難しい課題である。

 ソフトウェア企業、協同組合、激しい環境の変化の中で、従来の価値観の継承者でこのまま時代を背負っていくことができるのか。いろいろ考えさせられる昨今である。常識を乗り越えて新しい地平をどう切り開いてゆけばよいか。

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