「公共事業と税の一体改革」の政治とは何だったか

「公共事業と税の一体改革」の政治とは何だったか

 強引な手法に転換して推し進められている「増税と社会福祉の一体改革」は、何やら、胡散臭さが漂ってきている。国会中継でも「増税になった消費税が、実は、本当に社会福祉に振り向けられるかどうか疑わしい、というより、公共事業に振り向けられるのではないか」という議論が展開されて、いよいよ正体が見えてきたか、と思っていた矢先、7月30日の東京新聞に同じ趣旨の「公共事業と税の一体改革」という内容の記事が掲載された。これがインターネットでも大きな話題を呼んでいる。

 表向きは社会福祉の看板を掲げながら、本当の狙いは公共事業拡大のための財源探しではないか。これは「知らしむべからず」の政治手法が強行されようとしているということだろう。国民に本当の目的は教える必要はない。教えれば衆愚な国民は反対するので、賢明なる政治家が欺いてでも国民を善導するのだということなのだろう。しかし、今の政治家の皆さんの顔ぶれを眺めると、失礼ながら「賢明」といえる方が何人いるのか、首をかしげたくなる。そういう方に「善導」する能力などあるとは思えないので、残るのは、ただ、暴挙だけということにならない。

 原子力規制委員会設置法にも、成立直前に、設置目的として「安全保障」の文字が強引に盛り込まれたそうである。今日、日本の原子力発電へのエネルギーシフトの本当の目的はエネルギーの確保ではなく、将来の核武装の際の放射性物質の確保だったというのが常識的理解だが、「賢明」なる政治家としては、どうしても「安全保障」という本当の目的を委員会に義務付けたいと思ったのかもしれない。

 こうして、政治の強引な手法を目前で見ていると、やはり、もう一度、原点に立ち戻って、「国民の幸せを追求する政治」という視点から政策を議論する、そういう根本的な政界再編成を願わざるを得なくなってくる。

これまでの掲載

中島情報文化研究所 > 執筆記録 > METSAメールマガジン 時流跳流 > 「公共事業と税の一体改革」の政治とは何だったか