「善意」を疑わなければならないインターネット

「善意」を疑わなければならないインターネット

 インターネットは無償の善意、多くの人間が自分のリソースを提供しあうことによって形成された「善意のネットワーク」だと、最初の頃、信じ込んだものである。ネットワークをそれぞれ他人に無料で使わせるように開放して、その結果、自分自身も全体から便益を受けることができる、というものだ。一人一人が全体のために、全体は一人のために、という全体と個人の良い関係が構築されるはずだった。

 確かに一部はそういう状況になった。インターネットに接続するには、通信会社やプロバイダーに料金を払うという、最低限の支出は必要だが、その後は、無料で新聞社や放送局のニュース記事を読むことができ、無料でメールやフェースブック、ツイッターを利用できる。さらにスマートフォンでは、無料のアプリをダウンロードしてさまざまなサービスを享受できる。

 しかし、時には、この信頼関係を裏切って「ただ(無料)ほど高いものはない」ことを痛感させられる。無料のスマートフォンのアプリに悪質な仕掛けがしてあった。個人情報が大量に盗み取られる事件である。「スマホの利用者がネット上からアプリを起動させる際、1つ目のURLで画面にゲームの映像や画像を表示させ、通常のアプリを偽装。同時にアクセスするもう一方のURLを通じ、メールアドレスや電話番号など電話帳内の個人情報約1180万件を抜き取り、都内にあるレンタルサーバーに自動転送していた」というものだ。

 もちろん、電話帳からメールアドレスや電話番号が盗まれるだけなら、実害がないと思われるが、この個人情報を使って何か悪用する準備をしていたと想像すると、不気味である。

 WEBメールやSNSも無料で利用できる、というものについては、本当に大丈夫かどうか、安全確保の用心深さが必要だろう。便利さと危険は隣り合わせである。

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