コンピューターからネットワークへーーユビキタスの大変化 『先見経済』
日本社会はコンピューターからネットワークへの大きな曲がり角に差し掛かっている。その顕著な動きがパソコンからケータイへの端末の変化である。再び日本社会の支配的技術の地殻変動だ。もちろん、パソコンを基盤にした経済構造が一気になくなるものではないが、企業経営も今後はパソコンで構築した仕組みを活用しつつ、ネットワーク依存の企業システムを模索しなければならない。
コンピューターとネットワークのどこが違うのか? 両方ともITではないか、と思われる方もいらっしゃるだろう。しかし、実は、明確に違うのである。すでに沖縄サミットのころには、欧米では、「IT(情報技術)」と呼ばずに「ICT(情報通信技術)」と呼んでいた。会議中、ITと呼称していたのは日本側の代表だけだった。もっとも、このホスト役になった日本の首相は森さんだったが、ようやく「IT」の呼び方を「イット」から「アイティー」へと切り換えたばかりだったので、発音しにくい「ICT」へとさらに切り換えるのは難しかったのだろう。
「ICT」はインフォメーション・コミュニケーション・テクノロジーの頭文字をとったものだ。情報技術は主にコンピューターによる情報処理を意味しているが、ICTはコンピューターと通信ネットワークが結合したシステムを表現している。特に欧州では、コンピューターメーカーが次々と米国IBMや日本の富士通、NEC、日立製作所との競争に敗れて撤退し、この分野で残っていたのはどの国でも通信会社ばかりだったので、ことさらにコミュニケーションを主張する表現が望まれていた。
しかし、今日、日本でネットワーク時代が来た、というのは、欧州のそうした事情とは異なっている。日本でも成長企業の条件はネットワークをベースにした「コンピューターとコミュニケーションの融合分野」に移ってきた。ソフト会社のビジネスもコンピュータープログラムではなく、通信プログラムに移行して来た。
コンピューターから通信ネットワークへと、社会体系や企業体系の基盤が移行するのは技術革新の必然である。パソコンに代表される半導体ベースの情報システムは年率六〇%、つまり年間一・六倍の勢いで性能が向上している。これだけでも革命的な変化だが、通信ネットワークはさらにスピードが速く、年率百%、つまり毎年二倍になる猛烈な勢いで性能が向上している。十年で複利計算するとコンピューターは百倍、通信ネットは千倍というスピードで技術が発展していることになる。
重要なのは、両方とも高速の性能向上だが、コンピューターよりネットワークのほうがさらに高速なことだ。通信ネットワークは電話のように長い間、製品としての機能向上がなかったが、通信市場の自由化以降、この技術革新の成果が一気に発現する。パソコンの登場の後から電話を凌駕する「脱電話」の通信の時代が始まったので、当初、通信はパソコンの陰に隠れていたが、より高速の技術革新によってパソコンの威力に近づきつつあり、やがて近いうちに領域によってはパソコンを置き換えることになるだろう。
すでにいくつかの領域ではパソコンと肩を並べ、あるいは優位な状況になりつつある。
一つは文字ベースの「電子メール」である。十年以上前にパソコンを身に着けたビジネスマン世代にとっては、パソコンを使ってメールをできることは若きエリートの証拠だった。出張先のホテルでもパソコンを回線につないで、オフィスの中にいるのと同様に仕事の打ち合わせを行い、指示を受け、自らも出した。パソコンは電子メールを行える重要な道具になったのである。キーボードをたたけないものは、こうした濃密で効率のよい業務体系を享受できない。落伍者にならざるを得なかった。
ところが、どうだ。いまや、メールとは「ケータイメール」に支配されつつある。通勤途上でも、外出先でも、会議中でも、頻繁にメールを受信し、きめ細かく返信する。問題は指入力と画面の小ささである。所詮、その限界を見据えた使い方しかできない、と高をくくっていたら、なんと、若者は指入力に習熟し、技術革新で画面は大きくなり、相互にやり取りする情報は急速に大きくなり、また、その料金は急速に低下した。プログラムも自由にやり取りして利用できるようになった。
会社に置いたサーバーに大きなプログラムを置き、ケータイから指令して業務処理させてその結果をケータイ画面に呼び出す、というシステムの端末に変身しようとしている。あきらかにオフィスに置いたパソコンが担っていた業務である。それがオフィスだけでなくどこでも作業ができる。
しかも、一台十万円するパソコンに比べ、価格はヒト桁安い。ユビキタス・ネットワークを基盤にしてパソコンより能率的なビジネスの道具として今後、ビジネスの主流を占めるようになるだろう。外回りの仕事の指示、業務の相談、取引先とのデータの取得、仕事の開始や終了時刻の連絡などはケータイインターネットの得意分野になっている。直行直帰型のビジネスで通勤コスト、オフィス家賃が大幅に減るビジネス体系が幅広く採用されるようになった。
ビジネスシーンだけではない。市場の主役である消費者がケータイのヘビーユーザーになる。携帯電話でFMラジオが聞ける機種が出てきたというので無駄な機能だと思ったらとんでもない。放送で聞いている歌の曲名をその場でインターネットに問い合わせし、歌詞まで入手できる。さらに、その曲が欲しければエレクトロニック・コマースでその場で携帯電話に落とし込める。携帯電話はそのまま音楽を聞く携帯装置になる。ネットワークからこうした音楽をダウンロードするのはパソコンだと思っていたのは、つい昨年である。パソコン経由で携帯装置に音楽を蓄積して外出中に楽しむ専用装置が米国で大人気を呼んでいるが、日本ではケータイがあっさりとこれをやってしまう。日本では、いち早く全国に張り巡らされたユビキタス・ネットワークをベースにパソコンで行うべき機能をケータイが直接に実行してしまう。
ユビキタス・ネットワーク――いよいよ日本の時代である。
『先見経済』 2004年12月8日