企業価値観を大転換させる――CSRへの経営シフト

先見経済 「企業価値観を大転換させる――CSRへの経営シフト」

企業価値観を大転換させる――CSRへの経営シフト 先見経済2月号   『先見経済


 社会責任を基礎にした「経営」、つまりCSRへの要求が高まってきている。いま、なぜ社会責任なのか。その背景では価値観の大きな転換が進行している。背後にある大きな枠組みの変化が理解できなければこれからの経営者は務まらない。IT(情報技術)の浸透が加速させるCSRの現在と今後を展望してみる。

 企業の社会的責任論は、これを論じる人によって強調するポイントは著しくずれている。論者の見解を総合すると、まず、①環境に負荷を与える事業活動を転換し、その結果やプロセスを公開する、②消費者に有害な商品やサービスを提供しないし、関連する情報を適宜開示する、③事業所近隣の住民と共存できる事業展開をする、④雇用責任を果たす、⑤法律や社会規範に則った事業活動をし、いつでもそのプロセスを開示する――などである。

 こうした議論はコーポレート・ガバナンス(企業統治)論の延長線上にある。企業統治論は極論すれば「会社はだれのものか」という議論だが、米国流の企業統治論は、明快に「株主のもの」と答えてきた。企業収益を最大化し、株価を上げ、株主を満足させることが企業活動の目的だとされた。しかし、これが公害を撒き散らし、業績を誤魔化して粉飾し、株価だけ吊り上げる極端な企業活動を招くことになった。

 短期的には収益が上がって株価が上昇しても、やがては住民や消費者の反発を受け、場合によっては破綻に行き着く例も出てきた。長期的には株主のためにもならなかったが、その実態を知っている経営者や幹部だけが株を売り抜けるなどという犯罪も発覚して、行き過ぎた「業績至上経営」を見直す動きが出てきた。投資家の投資基準が単なる短期の業績だけでなく、長期的に企業が成長する条件を加味したものへと転換した。企業が社会的責任を果たしているかどうか、も、その新しい投資基準になったのである。「SRI(社会責任投資)」の考え方だ。

 新しい基準をもった株主が企業経営者に対し、「社会的責任」をきちんと果たしているかどうかを問いただす。その要請が満たされなければ経営者を追及してくる可能性がある。また、長期的には社会的責任を果たしている企業のほうが成長力をもつ、という判断によって投資家を呼び寄せることができれば、高い株価が維持できて、事業資金を有利に調達することが可能になる。

 つまり、CSRを、ただの理想論、青臭い社会正義論の領域を超えて現実的な経営の場に引きずり出したのは「SRI」だった。証券界からCSRの関心が盛り上がった。特に外国の機関投資家は、CSRに重きを置いた。機関投資家が社会悪をばらまく企業の監視役になったのである。

 機関投資家が何をもって企業の持続的成長を可能にする「社会責任」であると認定するのかは、必ずしも一致しているわけではない。この観点を強調すると、結局は「企業は株主のもの」という従来の価値観の変形に留まってしまう。機関投資家自体がいつも長期的な観点で行動するとは限らないかもしれないので、現在起きているCSRの流れをこの観点だけで見るのは勘違いを生むだろう。

 たとえば、米国の株主が株主総会で、発展途上国の現地法人で雇用差別を行っている事例をもって経営者を追及したことがある。欠陥商品を追及した社会運動家もいた。これらの株主は長期的に株式価値を高めるために経営陣を追及したのではなく、これらの反社会的経営を追及するために一株株主となったのである。

 現在起きている問題の本質は、こうした一株株主運動を起こさなくとも、企業が社会的責任を果たすことは当然だと、社会全体が考え始めたことである。その流れを受けて、機関投資家は社会的責任を評価軸に加えたのである。機関投資家が加速しただけであって、ことの本質は社会の価値観が変わりつつあることだ。

 さらに価値観は変化を遂げつつある。企業が社会に害を与えない、という消極的な評価だけでなく、社会に善行を施すことを要求し、期待するのが第二の段階である。積極的な社会貢献である。かつて「メセナ」と称して文化活動に企業が寄付をしたことがある。しかし、現在の「社会的責任」とはもっと深刻な課題を背負っている。

 たとえば環境。企業活動が環境に負荷を与えることを抑制するだけではない。逆に環境を改善する活動を推進する。従業員に空き缶拾いを奨励するだけでなく、森林再生のための活動を支援する、災害への義捐金や援助活動の要員を送り出す。

 事業活動の中でも、雇用面で差別をなくし、弱者の雇用促進を行う活動が高く評価されることになる。コスト抑制のために派遣労働力や契約社員の依存度を増やすことが現在は経営努力としてプラスに評価されているが、ある日、一転してその企業が雇用責任を放棄しているとマイナス評価が受ける事態にもなりかねない。

 収益を上げる、という短期的な株主の期待には応えても、雇用機会を縮小し、社会の不安を醸成し、ひいては出生率を低下させるという「犠牲」の上に上げた収益では意味がない、という論理が「SRI」のアングルから主張される可能性があるのである。

 「CSR」は、ひそかに行っているというのでは意味がない。個人の活動なら「陰徳」が誉められるが、他人から提供された資金や社会の資源を使って事業活動している企業は、その社員の活動や事業活動、さらに社会貢献活動を適宜、公開して社会の評価にさらすことが要求されるようになる。

 以前は、そうした情報公開は難しかった。これを要求する人にいちいち対応する暇がなかった。ぢかし、現在はこれが可能になった。インターネットのホームページである。すでに環境報告書をホームページで公開している企業は増えつつあるが、さらに社会貢献活動の報告を追加してゆけばよい。

 もっとも、そのためには、企業の中ではどのような活動が行われ、その行動は社会の健全な発展にプラスなのか、マイナスなのか、評価しなければならない。これは相当に価値観転換の努力が必要だ。

 今まで収益最大化を目標に無意識に行ってきた事業活動のひとつひとつが、社会にとってはプラスなのか、マイナスなのか、新しい評価軸から光を当てられ、評価ポイントをつけられる。これを自動的に合計される仕組みにしておけば、「現時点でのわが社の社会貢献ポイント」が、ホームページのどこかにリアルタイムで表示することもできる。

 「ワークフロー」の情報システムを使えば、こうした評価もそれほど難しくない。いずれにしろ、これを機会に、社員の活動のひとつひとつの意味を考え直し、あるべき企業像を再構築するのも意味があるだろう。


先見経済』        2005年2月1日

これまでの掲載

中島情報文化研究所 > 執筆記録 > 先見経済 : 企業価値観を大転換させる――CSRへの経営シフト