ブロードバンドへの思いがけぬ期待

ブロードバンドへの思いがけぬ期待

内田洋行 『inkSpot』 奇論・暴論  2002年12月20日

 12月中旬、ブロードバンドを主題にしたあるシンポジウムで、NHKの大井康祐さんと同席した。大井さんは、膨大なNHKの放送コンテンツをデジタルにして川口に建設するデジタル・アーカイブ・センターの建設事務局長である。その彼が、1000人近い聴衆の前で「がん告白」をした。埼玉県の川口に2月1日に完成するブロードバンド・コンテンツの世界最大の拠点、川口のセンターのオープニングの場に、大井さんは病院に閉じ込められて立ち会えないだろうと言うのである。シンポジウムの会場は、凍りついた。

 しかし、大井さんが語るNHKがブロードバンド社会に提供するコンテンツの可能性は素晴らしかった。日本でテレビ放送が始まって50年。その前半の多くは、残念ながらVTRがまだ安価に普及していなかったので、記録はあまり整っていない。高価なテープを繰り返し使用するので、せっかく記録した内容もすぐに消しつぶされてしまった。ごくわずかに、16ミリなどのフィルムに残されているが、これをデジタルで補正して今回、アーカイブ・センターに保管することになる。

 ここ30年間は、ドラマ、ドキュメンタリー、ニュース、スポーツ中継、教養番組など、豊富な番組の記録が残された。これが日本のブロードバンドの資産になる。数十万点の質の高いコンテンツがNHKに残されている。これがデジタル資産として利用できるようになる。もっとも、テレビ番組は、テレビの再放送までが放送局のもっている権利で、これをデジタルコンテンツとして提供するには問題がいろいろある。

 ドラマでは、多数の出演者の許諾を求めなければならないし、その背景に流れた音楽の著作権者にまで許諾を得なければならない。ドキュメンタリーでも再度、デジタル情報で公開するには、登場した一般人に公開の了承を求めなければならない。撮影された時期とは事情が変わって、幸せだったはずの家族が崩壊していることもあれば、何らかの理由で放映されたくない状況になっているかもしれない。その登場者を探し出して、了承を得るという地味で根気の要る作業が必要だそうだ。登場者がどこに移転したか、分からず、公開の難しいケースも多いようだ。

 その点、料理番組、外国語会話番組、園芸番組などは、権利関係が比較的単純で、これはブロードバンドのコンテンツとして公開される日は近い。2月1日のアーカイブ・センターのオープンが待たれる。

 大井局長は、このシンポジウムに病院から直行した。この日の2日前にがん告知をされ、当日は入院早々に外出許可を得て会場に駆けつけたという。この日の夜から、つらい投薬と放射線投与の闘病生活が始まる、と、話した。2月1日のオープニングには、おそらく立ち会えないと、「それだけが心残り」と口ごもり、「皆さんの前に顔を出すのもこれが最後でしょう」と会場を見渡した。

 日本のブロードバンドは、コンテンツ不足でなかなか普及しないと、予測されている。しかし、その難点を克服するNHKの膨大なコンテンツが封印を解かれようとしている。この苦難の作業を指揮してきた大井局長の闘病。大井局長の執念で、日本のブロードバンドが花開くきっかけとなれば、これは、「プロジェクトX」ででも取り上げてほしい話ではないか。

 ブロードバンド、遠い話ではなく、身近に到来する新しいインフラとして、情報システム業界も油断なく準備を始める必要がある。

内田洋行 『inkSpot』 奇論・暴論 2002年12月20日

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