内田洋行 『inkSpot』 奇論・暴論 2003年10月14日
巨人軍・原監督がチーム不振の責任を取る、と言って、突然、任期半ばの辞任を申し出た。巨人軍フロントは慰留したが、原監督の決意は固く、わずか2年、昨年の日本一監督は、今年は辞任に追い込まれた。勝負の世界は厳しいといえばそれまでだが、巷間伝えられる経緯をじっくり読むと、そこには経営トップと現場を率いる責任者との価値観のずれが感じられる。簡潔に言えば「経営トップは自分のために仕事をし、現場責任者はファン(顧客)のために仕事をする」ということだ。一般の企業でも同様のことが言える。お客様に顔を向けない経営トップが多すぎる。
ここでキーポイントになるのは、原監督は任期3年、来年まで監督をやる気が満々だったことだ。9月の連敗は、優勝を逃すことが確定した今年の消化試合を舞台に、来年の戦力養成のために、若手を起用した。敗戦覚悟で、来年へのスタートを切ったことだ。これに対して経営トップは、「来年まで続投というのも、こう負けたのでは考え直す」という趣旨の発言をした。この発言は「原監督の人事権は自分が握っている。生殺与奪の件は自分が握っている」というニュアンスだった。
これに原監督はプライドを傷つけられた。「自分で人事を決められる」――唯一の切り札の「辞任」のカードを切った。辞めるか、辞めないかを決めるのは「巨人軍ファン」であって、経営トップではない。原監督はオーナーやフロントのために仕事をしているのではなく、ファンのために仕事をしている。「不甲斐ない今年の巨人軍の成績の責任は監督の一身にある」とファンに詫びたのであって、経営トップやオーナーに詫びたのではない。仮に、オーナーや経営フロントに頭を下げたとしても、彼らそのものに頭を下げたのではなく、その向こうにいるファンに頭を下げたのである。
得てして勘違いがある。仕事に真剣な社員が何かの責任を感じて経営者に頭を下げるのは、経営者に下げるわけではない場合が多いということである。しかし、経営者はこういうケースでは、全部が自分に頭を下げられたと勘違いしている。経営者の向こうに居るお客さんに頭を下げている場合が数多くある。
筆者が新聞記者だったころ、数多くのスクープをし、連載企画も魅力だったある同僚に、上機嫌の上司が「お前のおかげで俺の出世街道が保証された。これからも頑張ってくれ」と言ったことがある。この同僚は憤然として、「僕が記事を書いているのは貴方のためではない。読者のためだ」と断言した。恐らく、何かの記事でトラブルが起きたときに彼が上司に謝罪したとしても、心の中で「僕が謝罪するのは読者に対してだ」と思ったに違いない。謝罪するような場面では、居丈高には出られないので、仕方がないので上司にも頭を下げるが、本当の心はお客様への「申し訳ない」である。頭を下げられる上司は自分の権威、権力に頭を下げていると勘違いして、「生殺与奪の権は俺が握っている」と錯覚する。少なくとも、歴史に残り、ファンの心に生き続けるのは、この経営陣の名前や顔ではなく、原監督の方である。原監督が経営トップにいかに深々と頭を下げようとも、ファンの方は、頭を下げているほうが偉大な人物であることを知っている。知らないのは、頭を下げさせている経営トップだけである。
これと同じことは企業でも毎日、起こっている。社員のほうも、いつの間にか勘違いして、お客さんのために仕事をしていることを忘れ、上司へのゴマすりが自分の仕事だと行動するようになってしまう。これでは企業の活力は失せ、良い仕事はできなくなる。こういう上司、経営者は周りに居ませんか? 原監督辞任から学ぶことは多い。
内田洋行 『inkSpot』 奇論・暴論 2003年10月14日