「継続を保証する」ことが重要な社会的責任

「継続を保証する」ことが重要な社会的責任

現在に至ってもなお、混迷を深めているのが「年金問題」である。自分たちが支払った年金はきちんと記録されているのか、権利のある年金の支払いが正当に行われるのだろうか、不信はなかなか拭いきれない。

現在は「消えた5000万件の記録」を再整備できるかどうかに関心が集中しているが、年金問題の本質はそこにはない。かりに、記録が回復するような奇跡があったとしても、本当に年金制度が維持されて、継続的に年金を支払ってくれるのかどうか、それが年金問題の本質である。そういう不安と気がかりがあるにもかかわらず、市町村の窓口や社会保険庁の担当のところで入金を着服する無茶苦茶な事態が生じ、さらに基本的な入力ミスがあって、その不安がいっそう煽られたのが「消えた年金記録」の問題である。
その問題が解決しても(しつこいが、仮に奇跡的に解決したとしても)、状況は「年金制度が維持できるかどうかが懸念される」という出発点まで戻っただけである。あるいは、年金制度維持の保証がないからこそ、そこにすでに制度運用者のモラル崩壊があるからこそ、担当窓口の着服が平然と行われるようなモラル不在が生じたのかもしれない。

ここで改めて問題の本質に立ち返って整理してみると、その根本的な問題は制度が維持継続できるのかどうか、である。われわれが最近、使用している言葉を用いれば、事業継続計画の説明を要求しているのである。あるいは事業継続計画が破綻しているのではないか、という不信である。

古い時代ならば、あるいは、朝令暮改に制度が変わっても、国民は「お上のすることだから仕方がない」と悔し涙を飲んで終わったかもしれない。しかし、いまや「事業継続」の保証を求めるのは国民の正当な権利になった。記録が失われることも、事業継続の要求を満たさないから怒るのである。大災害で日常生活の継続が困難になると、行政サービスの中断を怒って、「人災」と叫ぶのである。

もちろん、相手は行政だけではない。取引先が事業を継続しないことにも、企業やユーザーは敏感になってきた。事業継続(ビジネス・コンティニュイティ=BC)が新たな社会的責任として企業の重要な経営課題として浮かび上がってきている。もちろん、その根幹の一つに情報システムのBCP、具体的にはDR(ディザスターリカバリー)体制の確立があることは言うまでもあるまい。情報システム分野の担当者たちが感じている以上に、社会が要求する事業継続の水準は高まっている。

筆者は、そのDR拠点の最適地は沖縄であると信じている。今後、ユーザー企業の関心を高めるために活動を強めるが、11月中旬にはユーザー企業に呼びかけて、沖縄のDRサイトの候補地の視察を敢行する予定だ。興味ある方は、内田洋行のコラム担当(mailto:info@uchida.co.jp)に一報していただきたい。情報システムの事業継続は重大な社会的責任である。それなくして企業は生き残れない時代になった。

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