高齢者山岳事故から学ぶこと

高齢者山岳事故から学ぶこと

 北海道十勝岳連峰で大規模な雪崩が発生し、雪上訓練中の4人のベテランの登山家が巻き込まれて死亡した。登山のベテランでも防げなかった事故である。安全を見越せばいくらでも慎重になれと言いたくなるが、それでは、何事も身動きが取れなくなる。犠牲者にはつつしんで哀悼の意を表するが、一方で、大好きな山で往生するのは本望だったのではないか、という羨望の気持ちがないわけでもない。

 人間の基本的権利として「愚行権」を主張する哲学者もいる。この権利の説明には「遭難する危険を冒してでも山に登る」という例がよく使われる。他人から見れば愚かな行為に思われることでも、それを愛好する人間にはあえて行う権利があるというのである。肝臓には悪いと思いながら酒を飲むことや健康に悪いと知りつつタバコを吸うことも「愚行権」の例である。

 最近の山の事故の特色だが、犠牲者の年齢も高い。最高齢が68歳、それに63歳、60歳、56歳である。まだ若いのに、と惜しむこともできるが、この年齢で、なお、さらに技術を高めようという向上心に挑んでいたのか、と、高齢者の元気にも驚嘆させられる。二次災害の危険も顧みずに救出に当たった人々など、周囲への迷惑も考慮しなければいけないものの、やはり、すでに社会生活で何物かをやり遂げた後の次の人生への挑戦――この犠牲者たちにはどこか満足するところはあったのではないか、という気持ちが消えない。

 今回のような雪崩に有効なものかどうかは分からないが、ITの活用で事故を防ぐ手立ても昨今は言われるようになった。携帯電話の電波を目印にして探せば埋まったとしても、発見が短時間で済むのではないか、とか、RFIDを使う手段はないか、など、いろいろ実験する価値がある技術は登場してきている。これにも「登山というスポーツに対して邪道である」という反対論があるらしい。「人の命のほうが大事だ」という再反論もある。

 どちらにしろ、ITでこうした危険が緩和できる可能性があるならば、実験をすればよい。それを使うかどうかは次の問題だ。危険に挑戦することに人間の尊さを認める人は使わなければ良いし、そうかと言って、人がITを使いたいというのを禁止することもないだろう。ここで確認すべきなのは、もしITを使いたければ、より危険が少なくなる方法がある、という可能性であろう。

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