日本の経済界の08年は株式相場の暴落という暗い出発だった。米国経済の悪化に引きずられて東京証券取引所の7年ぶりの暴落というスタートである。日本経済は米国ではなく中国市場に牽引されている、と、新聞紙上では散々読まされてきたのだが、いざとなると、米国の動向に左右されるのは不思議なものである。これに対して、米国での原油取引が1バーレル100ドルを超えたというのに、国内の石油相場はやや落ち着いている。為替ではドルが下がったので、輸入価格は原油取引相場と為替で相殺されているためという解説だが、原油相場がスポット取引で投機資金が流れ込むのに対して、実取引は冷静な長期の受給見通しで予め決まっているためだろう。
ところで、言うまでもないが、炭酸ガス排出量の削減という地球温暖化への対策を講じる上では、石油価格の高騰は絶好のチャンスである。筆者は日本経済新聞記者時代の80年代に、連載企画の取材で欧米のエネルギー資源開発の現状をつぶさに取材して回り、1バーレル35ドルを上回れば、風力、太陽熱、太陽光、潮力、地熱、バイオなどの自然エネルギーが採算に乗って、一斉に実用化へと動き出す、という研究者たちの力強い発言を聞いた。
電気は、エネルギーのレベルの差を利用して生み出せるので、わずかな温度差、電位差、磁力の差、高低差(重力差)で誘導できる。冬場に静電気でピリッと来るなど、たいした電力ではないにしろ、有効利用の方法を考えて見てもよい。われわれの日常生活のあらゆる場面で電力を生み出せるにもかかわらず、地中から安く取り出せる化石燃料に依存していることが大気中の炭酸ガス濃度をここまで高レベルに導いてしまった。ここまで高騰した化石燃料の価格は、危機ではなく、好機である。
もちろん、われわれが利用する情報機器の省電力化が重要なのはもちろんだが、使用する電力も、従来は無駄に放電してきた微小エネルギーの利用を考慮する時期が来たのではないか。電卓がいつのまにか太陽電池利用で乾電池不要になったのが良い先行事例だ。笑い話のネタだった、自転車のペダルをこいだり、クランクを手回しして手動発電する装置がいまや一部で本気に利用されるようになったのは、価値観の転換が近づいている証拠ではないか。情報機器が社会システム全体の省エネルギー化を推し進めるのは明らかだが、当の情報機器そのものも、まだ、新しいエネルギー源利用の工夫の余地があることを忘れてはならない。商品力を競う、次の機能競争は、この辺りにあるかもしれない。資源小国ニッポン産業界の出番でもある。
そのニュースがマスコミをにぎわせば、日本経済は大きく浮揚し、暗くなり始めた風景も再び光が満ちることになるだろう。