沖縄の若手経営者約20人を対象にした勉強会(経営塾)が内閣府の提唱で開催されている。内地からはコンサルタントや若手の経営者がアドバイザーとして10人ほど参加して、合計30人ほどの塾である。3ヶ月に1回ほど、日曜日に那覇市の公共の会議室を借りて開催されるが、1月20日は、ゲスト講師に堺屋太一氏を招いて活発な議論が繰り広げられた。
堺屋氏とは2001年に開催されたインターネット博覧会で1年間、一緒に進行役をして以来、久しぶりの会話だったが、今回は、1972年の沖縄の本土復帰時に堺屋氏が通産省の役人として沖縄に2年間駐在して活動した「沖縄の奇跡」の体験談で、極めて示唆に富む話だった。
堺屋氏は、沖縄駐在を拝命すると、沖縄返還を実現した当時の佐藤栄作首相(仲人でもあったそうだが)を訪ねて、「首相が実現した沖縄復帰を成功させるために、私は何を目標にすれば良いか」問うたそうである。佐藤首相は「人口を減らさないことだ」と答えた。当時、経済学者たちは、さまざまなデータを照合した後、数十年後には沖縄の人口は復帰時点の40%にまで減少する、と予測していた。たとえば、一足早く返還された奄美大島が返還後、人口が急減して40%まで落ち込んだとか、戦前、同規模だった島根県や鳥取県が戦後、人口が減少したこと、さらに沖縄には人口を支えるだけの産業がないことなど、いくらでも、人口が減ってしまうことを主張する根拠があった。
これに対して、堺屋氏は、検討を重ねた結果、観光業の振興を企図し、日本の観光関係の経営者や専門家に諮問した。検討委員会の結論は全面的に可能性なし、という意図しないものだった。常識を積み重ねた結果である。落胆した堺屋氏は米国の観光プロデューサーに意見を聞くことになる。当時、年間24万人の観光客を10年で10倍にしたい、と相談すると、プロデューサーは「いとも簡単だ」と答えて経費は現在の1000億円に相当する「100億円」と答えた。
飛行場、道路などのインフラだけでもそれでは足りないだろうといぶかしがると、そういうものは観光投資ではない、とあっさり否定された。観光地としての魅力は何か、それを見出し、演出し、そしてキャンペーンを張ること、そこに投資する。沖縄は運賃の高い航空機でしか行けないので、不利ではないか、と聞くと、高いからこそ、収入を増やしたい航空会社は熱心に沖縄に旅客を誘致しようと頑張ってくれるはずだ、と、むしろ、それは有利な点だ、という。観光地、ハワイも最初から観光資源があったのではなく、アイデアと開発力で作り出したものだ、という。フラダンスもウクレレも「作り上げられた」観光資源だというのである。ハワイの原住民が昔からウクレレを持っていたはずがないだろう、という。確かにその通りである。
そこで、沖縄の海、空を「世界一」と位置づけた大キャンペーンを始め、芸能を日本国中に売り出すキャンペーンを張って、沖縄への観光誘致を推進した。その結果、実際に10年間で13倍の観光客の誘致に成功した。常識は打破されたのである。さらに、復帰時97万人だった沖縄県の人口は現在137万人。人口は減るどころか、逆に40%も増加した。これが沖縄の奇跡である。ビジョンを持ち、構想を固め、シナリオを作って目標にまい進する、それも常識を重ねた否定的な結論などは無視して、事業を作り上げてゆく、これが沖縄の奇跡を生み出した原動力だ。常識よりも目標にこだわる熱意だ。
日本の経済はここしばらく厳しい時期を迎えるが、これを乗り越えるのは、常識や理論で、悲観的結論を予測することではなく、日本をどうするか、あるいはもっと身近に、自分の生活をどうするか、ビジョンをもち、そこに熱意を持って取り組むことではないか。なんとなく、元気が出て来た。