家庭用に発売されている化学製品を混合して毒性の高い硫化水素を発生させ、自殺する、という困った現象が広がっている。インターネットのサイトにその製法が具体的に掲示されていて、これを見た「自殺志願者」が次々と実行している。ここには複雑な様々な問題点が含まれている。インターネットの弊害の一つに数え上げられて、「有害情報サイト」の取り扱い議論に発展しそうだが、問題はそう簡単ではないことだけは確かなようである。
まず、単純な反論である。自殺志願者は硫化水素を発生させるノウハウを知らなくても他の方法で自殺することが推測されるので、インターネットにその製法が掲示されたことが自殺の直接の原因にはならないのではないか。しかし、どうだろうか。自殺のことが頭によぎった人も、自殺に伴う痛みや危険を想像するとなかなか踏み切れない壁があるので、結果として自殺を断念して危機的時期を乗り切ることはしばしばあるだろう。ところが安易に自殺が出来る方法を知ったことによって自殺が助長されたのではないか。だとすると、やはりインターネットが自殺を促した批判を受けざるを得ないのではないか。
次に、世の中には、危険情報が安全のための情報と表裏一体となって流布されていることだ。硫化水素の発生は、そもそも危険回避のための安全情報として浸透させるべき情報である。家庭で日常に使われている化学製品は、その使用組み合わせしだいでは毒性の高いガスが発生する、ということは警告として周知しておかなければならない。これが安全のための情報である。この情報が裏を返せば、危険な情報の流布になる。危険を避けようとする多くの人には「安全のための情報」である。しかし、自殺、または、人を殺傷しようと意図するごく少数の人びとにとっては、あえて実行すれば目的を遂げられる情報になる。この少数の人びとがこれを実行すれば多くの人にとっては危険を招く「有害な情報」になる。同じ情報が安全のための情報にもなり、危険な有害情報にもなる。安全情報か有害情報かはそれを利用する立場によって評価が違う。
情報社会はこうした複雑な問題を新たに生み出してくる。今回の硫化水素問題は、情報社会の深い問題を浮上させた。厄介だ。