「秋葉原通り魔事件」にひそむモノ

「秋葉原通り魔事件」にひそむモノ

 何の罪もないのに、たまたまそこに居合わせたというだけで、亡くなられた方、怪我をされた方には、たいへんお気の毒なことになった。日曜日の昼、天候も回復して、休日をエレクトロニクス最先端の街を楽しもうとしていた最中にこの惨劇である。ITのメッカの街を直撃した事件、他人事ではない。

 人生が嫌になって自殺する人が多いのも何とかしなくてはいけないが、他人を巻き込む自暴自棄の暴走にはショックを受ける。犯人の動機は今後、深く分析されることになるだろうが、すぐ隣の家の住人が同様のことをするかもしれない、と思っても、それを打ち消すことができないくらいに、起こっても不思議のない事件に思える。自殺のケースでは、その毒物の作り方や自殺仲間のリクルーティングがインターネット上で行われたということでネットが悪人にされたが、今回はどうなのだろうか。

 もちろん、仮に犯人がここに至る心理形成の過程でインターネットが利用されることもあったかもしれないが、直接にインターネットが「殺人幇助」をしたという性格ではないだろう。

 むしろ、犯人をここまで追い込んだ真の理由は「社会的ストレス」である。言い古されたことを使えば、格差社会の重圧を受けた犯人が、ついに我慢の限界を越えて暴走した、ということではないか。今回の事件を「自殺願望の強い人間が、無理心中を強いて、無差別殺人に及んだ」と取れないこともない。しかし、同様の境遇の人が多数いるのに、彼が凶行に及ぶまで、同種の人間がいなかったのはなぜか?検討すべきことは多い。

 しかし、今回の事件では、もう一つの現象を明らかにした。場所が秋葉原だったということもあるが、多くの人が現場からケータイカメラで撮影した生々しい現場写真を直ちに自分のブログなどに公開した。新聞、テレビなどよりずっと早い画像である。しかも、多数の素人が、さまざまなアングルから画像を公開している。新聞やテレビはこうした時代にどのように対応しようとしているのか。それが見えないのは、策がないからなのか?変化は急である。「検討している」という時期は過ぎつつある。こういう突発的事件を新聞やテレビがきちんとフォローしなければいけない。それができるのか?マスメディアもまた、通り魔やテロに追い詰められそうである。

これまでの掲載

中島情報文化研究所 > 執筆記録 > 内田洋行 奇論・暴論 > 「秋葉原通り魔事件」にひそむモノ