企業の不祥事が起きると、監督官庁から厳しく「コンプライアンス(法令順守)体制を構築せよ」と要求される。確かに、食品、自動車、湯沸かし器と生死に関わるような事故が起き、企業経営者の倫理観はどこに行ったのか。倫理観に任すことができないなら、それを法令、社内規則、内部統制の仕組みによって律するほかない。しかし、そうして厳しく役所から追及されるときに、当の被告企業の経営者や従業員の心の中に兆す思いは、「お役人さんだっていい加減なくせに」という不信である。
これまでも、カラ出張やヤミ給与、公金横領、談合を導くような入札情報の漏洩など法令違反が発覚して処罰され、談合防止のための入札の工夫や公務員の倫理意識の向上のための研修やそれを実効力あるものにするための「公務員倫理法」の制定など、対策は着実に進展してきたような気がした。
しかし、今回の大分県の教員採用試験の大規模な不正のようなものが発覚すると、公務員の倫理観というものがいかに地に落ちているか、改めて事態の深刻さを痛感せざるを得ない。もちろん、使命感を抱いて公務員になって、住民のため、国民のため、日夜粉骨砕身、業務に精励されている公務員の方も多数いる。筆者も身近にそうした公務員の方に接しているので十分に理解している。こうした方々にとっても、このような同じような立場の方々の不祥事は、はらわたが煮えくり返るほど不快な事件であろう。
一部の採用担当者の幹部で、予め依頼を受けた受験者の得点を加算し、そうでない受験者の得点を減点する、という不正で、不合格のはずの受験生が大量に合格し、教壇に立っている。一方、合格のはずの受験生が大量に不合格になって、教壇に立つ機会が奪われたというのである。相互チェックもない仕組みでこうした操作が簡単にできるようになっていた。これが第一、驚きである。
企業の内部統制の議論の中で、われわれは散々、この付近を検討した。起案者と決裁者に利害関係がないことは最低限のチェックポイントになった。子会社を担当する役員が子会社の社長などになっていた慣行は不正の源とみなされて多くの企業でその体制を変えたはずである。資材購買など権利の集中するポストは短期間で担当者を変えて後任者が前任者の不正のチェックをする。金融機関などではランダムに突然帳簿の査察をする。また、相互チェックは利害関係のない担当者の間で行わせるのが当然である。
なぜ、このような不正防止のための内部統制の仕組みを構築するかといえば、どうやら人間は自己規律を背景にした「倫理観」では行動を正しく律しきれない、ということが分かったからである。かと言って、事後に発覚した場合の厳罰を準備しても「見つからなければやり得」という、自動車運転の速度違反のような心理になって、厳罰があまり自制効果を発揮しない。そうなると、速度違反取締り用の監視カメラを道路のあちこちに設置して、せめてその付近だけでも速度違反を起こさないようにけん制するほかない。監視カメラの台数を増やせば、速度違反は激減するはずである。
悲しい社会である。本来なら自己規律で行動すべきことが、外からのけん制によってしか行動できないようになっている。悲しいが、あまりに不正がはびこれば、それをせざるを得ない。今日、ICTは十分に常時監視の能力をもっている。記録保存の技術も高度になっているし、それを破棄する際にも、責任者をトレースする仕組みも簡単に作れる。嫌なことだが、そのコンプライアンスの仕組みを作らざるを得まい。
一つだけ思い出したことがある。本来10年間保存すべき答案用紙が当該年度末に破棄されていて、誰が不正に合格したか、本来は合格すべきだったか、確認できない、という。もちろん、偶然のミスで破棄されたわけではあるまい。最初から証拠隠滅目的だ。同じようなことがそういえばあった。社会保険庁の年金の記録である。あれは何か大きな不正を隠すための証拠隠滅ではなかったか。その上、社会保険庁という組織も破棄するという。証拠隠滅の最たるものである。