なぜ連続メダルばかりなのか

なぜ連続メダルばかりなのか

北京オリンピックの夏である。幸い、時差がほとんどないので、欧州や米国で行われる国際競技に比べれば、テレビ観戦も楽だ。夏休みの暇にまかせて競技をながめていると、圧倒的に目立つのが前回のアテネ五輪に引き続き連続メダルの選手が多いことだ。もちろん、平泳ぎ2種目を連続制覇した北島選手を代表に、レスリング、柔道、水泳など、アテネを再現するようなメダル獲得だった。


それはそれで、素晴らしい選手を輩出した、と喜べばよいのだが、逆に、若手を押しのけて連続して代表選手に選ばれながら、前回のメダルに及ばなかった選手もいないではなかった。台頭してきた若手よりも、代表を選ぶ組織はアテネの実績に引かれて実績の豊富なベテランを選ぶケースが多かったのではないだろうか。安全志向に傾いて、一部は成功し、一部は失敗したのかもしれない。

二つのことが隠されているのだろう。

安全志向に傾いて、やはり、ベテランに任せて成功だった。現在のスポーツ科学は、卓越した選手の体力のピークを4年間、維持継続させるだけのレベルに達したのである。スポーツ科学の勝利である。ただし、北島選手の例に見るように、その精神的重圧は想像を絶するものがあったようだ。それを克服した精神力に脱帽である。

もう一つの悲観的側面は、世代交代がうまくいかなかった、ということではないか。結果として、若手の成長を阻んだことはなかったか。

企業経営でも同じことは常に自覚していなければならない。

4年ごとに経営者が変わる不文律がある大企業は返って弊害を残すが、老年となってすでにその経験が通じないほどに経営環境が変わったにもかかわらず、社長の座を手放さず、交代するときには、社長のバトンを受けるために隠忍自重した子飼いの老齢役員に社長の座を渡す、という企業が今日も散見される。稀に、60歳そこそこで社長の座を50代の後継者に渡す、という真っ当な人事に出くわすと思わず大喝采したくなるが、そうした心の持ち方をスポーツ関係者にも持ってもらわなければなるまい。

夏の休みを山奥に隠れて過ごそうとしても、届いてくる電波に抵抗すべくもなくオリンピックを眺めながら、下界の最近の経営者の顔を思い浮かべていた。

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