今年5月に教育再生会議が時の福田首相に提言した内容を掘り起こして、元教育再生会議のメンバーだった橋下大阪府知事が「小中学校への携帯電話持ち込み禁止」と表明して以来、世間の流れは大きく「小中学生に携帯電話は不要」という橋下支持と「子供との恒常的な連絡手段として安全のためにも携帯電話は必要」という反対派に二分されたようである。結論を先に言えば、子供の学力低下の責任を「携帯電話」などの先端機器に押し付けて、未来社会を切り開きつつある新しいコミュニケーションの道具を利用する子供たちの能力を抑圧する浅はかな行為である。
ネットの匿名の掲示板などを見ると、ネットの発言でははすに構えて、橋下支持が多いようで、「小中学生が持っていることが不思議だ」「俺たちのころはシャープペンシルも持ち込み禁止だった」「小中学生に携帯を販売した業者を刑事罰にしたら良い」など、橋下反対派の意見は少し劣勢のように見受けられる。この状勢も筆者の落胆するところである。
筆者は5月の教育再生会議の話題の際も「見当はずれの議論をしているな」という感想を抱いた。この「携帯禁止」の発想を、一部の地域の教育委員会が小学校での「インターネット接続禁止」を行ってきたことと重ね合わせて考えていたからだ。かつての教育委員会のインターネット禁止の主張は「インターネットには有害情報にあふれていて、子供たちを危険から隔離せよ」「インターネットに呆けて学習時間が減る」ということで、今回と根っこは同じである。
フィルタリングソフトなどの発達で有害情報との隔離の手法はとられていることなどから、最近は、教育委員会もこのインターネット接続の禁を解くようになったが、禁を解いた本当の原因は、実は、フィルタリングソフトの問題よりも、学習の道具としてのインターネットの効用を認めざるを得なくなったことにあると見ている。海外の小中学校ではインターネットを学習の強力な手段として子供たちの学力がぐんぐん伸びて、日本の小中学生の水準低下が著しいことが、インターネット解禁に結びついた本当の理由だろう。
確かに、麻薬やポルノ、詐欺など、インターネットには犯罪に結びつく危険な情報や他人を誹謗中傷し、傷つける有害情報に満ち溢れている。大人だって危ない。子供にはその危なさを隠して無知なままに置き、免疫のないまま、成人して初めてインターネットで犯罪情報の怒涛の大津波に遭遇させる、というのも無責任な話ではないだろうか。携帯電話は日本で先行して普及したため、海外の小中学生の利用率は未だ少ないかもしれないが、インターネットにもつながる携帯電話は学習の道具として日本でもコンテンツが増加しているので、いずれ海外でも携帯のコンテンツが充実してくれば、学習の強力な武器になるだろう。携帯電話は現在、発展中の有力なコミュニケーションツールである。これを禁止することは、またしても日本社会が後れをとる原因になる。
子供同士の良好なコミュニケーションの中で、情報交換、知識の交換が活性化して、飛躍的な知的向上をもたらすことも期待できる。そうした芽をむしりとる、というのは、公園の遊び道具が危険だからといって、次々と危険の可能性が指摘された遊具を封印するような「過保護社会」を作るようなものだ。これでは国際社会をたくましく生きることができない脆弱な子供ばかりになってしまう。学校の指導の怠慢を携帯電話に責任を押し付けて学力の低下の犯人にし、強圧的に禁止するのは止めて欲しいものである。
重要なのは、フィルタリングソフトを含めて「サイバーパトロール」など、携帯電話を利用する環境を安全にするとともに、子供の携帯電話の中身をある程度は保護者がモニタリングできるように仕組みを作ることである。一部の子供には有害である、ということで、子供たちが能力を育む芽を摘んでしまうのは、百年悔いを残すことにもなろう。