タレントの清水由貴子さんが、介護に疲れて自殺したと報じられた。それも父親の墓前である。車椅子に座る母親を傍らに残して。生き続ける方策をすべて試み、力尽きての自殺だったと報じられている。心配なのは、同様に介護に疲れきっている人々に、自殺を促すきっかけになってしまわないか、ということだ。人間は他人の考え、生き方、行動などに影響を受けやすい存在だ。情報社会は、その他人の考えや生き方、行動などの情報をふんだんに流通させる社会である。「自殺」などは影響が広がるテーマの一つだが、逆に自殺を思いとどまる仕掛けはできないものか。
日本では年間の自殺者数が3万人を超えるようになって久しい。優等生のコメントとしては、「なぜ、死に急ぐのか? 他に解決策はあるはずだ。周辺の人に相談しなさい」ということに尽きるが、恐らく、自殺者の心境は、その域を超えての決意なのだろう。
電車がよく止まる。「人が線路内に立ち入った」のだそうだが、そう毎日、うっかり人が線路に立ち入ることはない。「人身事故」と呼ぶこともある。「飛び込んだ」と、露わな表現を避けた言い回しである。当人がそこまで切羽詰まった心痛を想像すると胸が痛む。
ネットワークも自殺増加の道具である。「心中サイト」で心中の相手を募る、というのは、ただの冗談かと思っていたら、その実行例がたくさん出てきた。自殺の方法を教えるサイトもあるそうだ。トイレの清掃の際に使用する化学薬品で、合わせて使用すると危険だという注意書きがある。それを自殺できる方法として紹介しているだけなのだが、改めて自殺のヒントを教えるのは、自殺の方法を教え、促す悪魔のサイトと言える。知識というのは漠然と了解していたものを明確に理解することである。ネットはそうした知識にあふれている。しかし、自殺する方法まで教える必要はないだろう。
問題は、こうした悪魔のサイトをネットに放置しておいて良いかどうか。表現の自由などの基本的な権利との調整が必要だが、原則的に禁止する、という対応策は必要だろう。何でもが自由だったネットの世界に徐々に規制ルールが持ち込まれるのには困惑するが、情報時代の高度化というのは、こういう対応策が出現することも意味する。
ただ、ネットが読み手の心を動かす道具であるなら、自殺者の増加に力を貸すだけでなく、逆に、その減少のために機能する道具にもなるはずだ。自殺を迷う人々は、時に、ネットに心情を吐露することも多い。検索技術の力を借りて掲示板やブログなどをパトロールしてその兆候を見つけ、自殺を思いとどまるように導く仕組みはできないものか。何か、仕掛けができそうな気がするが。