世紀の挑戦~~日経電子新聞の成否

世紀の挑戦~~日経電子新聞の成否

 情報伝達の技術は振り返ってみると、意外に保守的である。口述から文字の手書き、紙を利用した筆写から、さらに木版による量産、さらに金属の活字による活版の大量印刷と進展してきた。そしてディスプレイに表示する電子新聞、電子書籍の時代である。紙の雑誌、新聞の登場からざっと1世紀半の歳月を経て、なお、まだ、メディアの本流の一角を占めている。テレビやラジオの普及で放送とその位置を分け合っているのが現状だった。

 「だった」と過去形を使うのは、その時代が過去のものとなるような事態がはじまったからだ。5月から始まった、日本経済新聞電子版の有料による配信である。

 新聞の電子配信は、かねて予想されていた未来である。インターネットが始まる以前は、自宅に置いたファクシミリに毎朝、新聞が送られてくる仕組みが予想されていた。衛星を経由し、あるいはCATVの回線を利用して、と夢が語られた。しかし、自宅に印刷用の大量の白紙を保管しておかなければならない。読み終わった新聞紙ですら置き場所に困るのに、印刷前の白紙を準備するというのは読者には受け入れ難い悪夢である。

 それを一変させたのが、大量の情報を低廉な料金で伝送するインターネットの登場である。日経の電子版では、これまでの紙の新聞の一覧性を維持しながら端末で閲覧できる。また、過去の記事の検索が容易にでき、関連する記事を簡単に探せるなど、さまざまな機能が豊富に用意され、インターネット時代に登場した新しい技術が組み合わされている。

 ただし、技術だけがすべてではない。社会問題もある。なじんでいる、従来の紙の新聞に愛着をもつ読者を無視するわけには行かない。読者が一斉に電子新聞に乗り換えれば、毎日、自宅やオフィスに新聞の束を運んできた新聞販売店の経営が維持できなくなる。しばらくは「共存」の期間が不可欠である。事態はゆっくりと進展させなければならない。そのバランスが崩れれば、既存の仕組みを壊し、さらに新しい仕組みも成長しないまま立ち枯れてしまうことになりかねない。日経の挑戦は、これまで既存の仕組みを崩壊させることに恐怖を抱いていた「慎重派」を吹き飛ばす挑戦である。
3月末にテスト版を提供し始めて1カ月強、5月から大半のサービスを有料化したのだが、読者のプロフィールを登録して配信を申し込んだ人数が40万部、そのうち有料の読者が6万人に及ぶという。300万部の既存読者の2%程度だから、わずか1カ月強という営業期間では驚くべき数値である。販売店を刺激しないという意味では、許されるぎりぎりの申し込み数かもしれない。また、経済ニュースに敏感な読者プロフィールを40万人も登録されたデータベースは貴重な経済情報になるだろう。このデータを活用できれば、新しい情報社会の扉が開かれるに違いない。
しかし、お金を払って新聞を読む読者が、電子を選ぶか、紙を選ぶか、その動向は読めない。成否が見えないままで、日経の挑戦は始まった。大幅な広告減少で収益力をなくした大手新聞社も、この日経の挑戦の成否を固唾をのんで見守っている。新しい時代は果たしてくるのか。

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