ゆとり教育の見直し~~個性尊重の本質まで見失うな

ゆとり教育の見直し~~個性尊重の本質まで見失うな

 志は尊いものであっても、十分に条件が整わなければ、結果は思いがけないものになる。テレビ東京系列の「ガイアの夜明け」で「ゆとり教育世代を鍛え直せ」という趣旨のテーマを取り上げることになったので、連動して掲載している日経新聞の「ガイア企画」でゆとり教育の経緯とプロセスを復習してみたが、改めて「ゆとり教育」は志が高く、日本の教育に明るい光を照らしたにも関わらず、結果は不幸に終わった残念な事例であることを実感した。受け止め方はいろいろだろうが、筆者は「画一的な教育ではなく、個性に合わせた弾力のある教育」がゆとり教育の本質だと思っている。

 現場の先生方は報告書作成、雑務など、校務の負荷が年々増加し、教育、指導に時間を割くゆとりがどんどんなくなっている。児童、生徒に実りある教育を実践するには、教育・指導の側にどのような教育をするか、個々の児童や生徒に即したテーマを考え、関心を引き出して成長の糧にする、先生方に、そのための十分な訓練や、そのための時間を確保する方策が講じられてきたのだろうか。はなはだ疑問である。

 さらに、インターネットの時代である。これをもっと活用すべきである。

 子供の問題関心の赴くところをさらに刺激し、成長を促すのに適した教師がその学校、その地域にいるとは限らない。むしろ、いない方が普通だろう。その際には学校や地域で無理をせずに、インターネットの交流の場を作って、児童・生徒に適した指導者を探し、ネットラーニングによって個別指導してもらうなどの仕組みも必要だったろう。そうしたオペレーションができるように教師・指導者のITの知識も向上させるべきだった。

 何も本を読み、知識を吸収させるだけが教育ではないだろう。サッカーの得意な児童・生徒はサッカーの技能を上げる。算数・数学が好きならば、ネットラーニングで巧みに算数・数学の面白い授業を子供に紹介する。学習指導要領をはみ出る特異な才能をもつ子供を発見し、その才能を花開かせる。教育の理念として、こうあるべきだ。

 ITがさらに発達してゆく中で、「はみ出す」子供を増やしてゆくことが、想像していなかった新しい社会を建設し、日本を新しい方向に導く活路を切り開くのではないか。「ゆとり教育」の見直しの中で、その本質まで破壊し尽くさないようにお願いしたい。

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