尖閣列島の「中国漁船」領海侵犯事件は、波紋を広げて、今度は、衝突映像のインターネットへの流出案件へと発展した。これを「事件」と取り上げるのは、問題を針小棒大にしようという一定の政治意図をもったものなので、「案件」と冷静に表現しておこう。しかし、今回の問題は、情報社会の急速な進展によって、「事実を暴く」という告発のルートが、従来のマスコミの専売特許ではなく、有力なライバルとしてインターネットがはっきりと姿を現したということである。ジャーナリズムは新しい時代を迎えたと、もって瞑すべきである。
この事件は様々な問題を派生させて波紋は次々に広がっているが、それ自体、政治的に利用するためにいろいろな勢力が画策している事を想像させる。まず、政府首脳が、この映像の存在を承知しながら、「日中関係をこじらせたくない」として封印したことが第一の錯誤である。政治的に判断した最初の間違いだと筆者は思う。事実は事実として公表し、そこを原点に交渉をスタートさせなければならない。事実を伏せて、「政治的に解決する」などという「情報管理」、言い換えれば「情報操作」をしようとしたことが妄想だと言いたい。
24年にわたって新聞記者として活動してきた筆者の経験でいえば、重大な問題が生じた多くの場合には「情報操作」が可能であっても、いくつかの決定的な場面でジャーナリズムは全力を挙げて「情報操作」を覆す。今回のように見え見えの「情報操作」が行われれば、ジャーナリズムのプライドを踏みにじるもので、ジャーナリズムを真っ向から敵に回したことになる。その雰囲気を感じ取れば、この映像を握っていた、もちろん、官僚のだれかと思うが、故意に映像を流出させることは十分に予想できる。個人ではなく、おそらく何らかの意図をもった、組織的な流出であろう。
マスコミは、政府の情報管理の甘さを非難するが、これはナンセンスだ。今回は、むしろ、政府が隠そうとしていた映像をどこがスクープするかが勝負だった。尖閣で起きた事件を、事実と隠さずに報道するのが、マスコミの責務であるというのは、心あるジャーナリストだったらだれもが考えていただろう。一時代前ならば、どこかの新聞社や雑誌社、放送局に持ち込まれたに違いない。それがスクープ報道とされて、もしかすると新聞協会賞をもらったかもしれない。
マスコミが政府を「情報管理が甘い」と責めるのは、そのスクープがインターネットに流出したからである。マスコミにとっては最も恐るべき事態が起きたのである。「隠された事実を暴く」という、マスコミの特権が無残にも奪われた。その怒りの矛先は、「情報操作」をもくろんで映像を封印した上に、マスコミの頭上を越えてインターネットに「公表」させてしまった政府に向かざるを得ない。この件についてのマスコミの政府攻撃は「八つ当たり」のレベルである。もちろん、八つ当たりを正当化するために、「情報管理の甘さは国際的信用を失う」などと述べるが、ジャーナリズムの役割は、その情報管理を突破して、妥当性を欠く政府の行為、大組織の行動の問題点を暴きだすことではないか。
情報社会とは、だれでもが情報を発信できる能力を持つ社会である、という厳しい現実を政府も、ジャーナリズムも肝に銘ずるべきである。