正義か犯罪か?――ウィキリークス

正義か犯罪か?――ウィキリークス

 「機密」で保護されて既存システムが崩壊の危機に立たされている。「ウィキリークス」は既存体系を破壊するインターネットの破壊力を、また、世界に印象付けた。インターネットは未知の性格を持っている。潜在化されているその性格は、時代の進展とともに次々と姿を現すので、その時々に成否を判断しなければならないことが出現する。ウィキリークスは、久々に出現した深刻な問題である。取扱いに失敗すると、インターネットを軸にした社会の健全な改革への道は狭められてしまいかねない。そういう意味でも、ウィキリークスは単純に正義の可能性があるとは言い難い。あえて分類すれば、インターネットの進展を妨げるという罪状をもって、犯罪と断じざるを得ないだろう。

 世の中には、正当な理由で機密にしなければいけない事柄が多数ある。しかし、機密にする理由がないのに、一部のグループや個人にとっての都合だけで、妥当性が無く機密にして不当に封じ込められる事柄はもっとたくさんある。

 ウィキリークスのケースはその区別をつけずに無秩序にインターネットに暴露していると思われるところに胡散臭さがある。正義を装ったただの破壊主義者に過ぎないという嫌悪を感じざるを得ない。原則をもたずに、本来なら一定期間は非公開にすべき機密を、正当な理由も規律もなく、またその暴露によってどのような公共的利益が得られるかのロジックもなく、情報をばらまいている。

 情報は、一度、公表すればそれが広がるのにふたをすることが難しい。試行錯誤でマイナスを発見して改善して行く、という余地のないうちに致命傷を受けるケースもある。原発の爆発のような巨大事故は、起きた後に、問題点を発見して改善するというような手法がとれないが、インターネットも、ともすると、そうした危険に直面する。

 筆者が心配するのは、こうした事象をもってして、インターネット抵抗論者に無用のアレルギー反応を引き起こすきっかけを与えることだ。テロに結びつくような危険な情報を共有するために作り上げたシステムが裏目に出たということだが、「情報共有」の限界がどこにあるかも、もう一度検討しなければならない。

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